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善悪の評価を超えた共感の壺
今年は1月7日と15日に「心のコミュニケーションとは」というテーマで、心のワークショップを開催しました。その時の様子を久しぶりにご紹介します。
初めて参加の方を交え6人が輪になって、今感じていることをそれぞれ語りました。
Aさん:夫が急に足が痛くなって、家の中でも杖がないと歩けないと言ってきた。夫の手当てをしてお正月を過ごした。夫は、私が以前、腰を痛めやっと歩いているのに、不機嫌さをぶつけてくるような人で、手当をしながらモヤモヤした。思い切ってその時の話をしたら、『悪かった。自分が痛い思いをして初めてお前の気持ちがよくわかった』といっていた。
みんな:自分が痛い体験をして初めて人の痛みがわかった・・・それはそうだろうけど、やっぱりモヤモヤするね。
Bさん:学校の提出書類に、子供の長所短所を書く欄があった。母がそこに明朗快活と書いたのを見て、私のこと何にも観ていないな。私は明朗快活ではないのに、と思った。これが母の理想なのだと思っていた。
みんな:親は子供のことを、自分の価値観を通してきり見ていないね。だから子供にしてみたら、親の理想にはなれないと、苦しくなるよね。自分の存在を無視されている感じになると、ものすごい孤独感だ・・・
Cさん:講座に参加して1年以上になる。気づいたら自分が以前のよう貪欲な承認要求がなくなってきた。気持ちが楽になった。そうしたら、家族から認めてもらえることが多くなった。心って面白いと実感している。
Dさん:ここって、自分の話が気持ちよく吸い込まれていく。共感の壺があるみたいだ。
みんな:そうそう。話していると真ん中に、善悪を超えた共感の壺が現れるね。この共感の壺は、みんな各自の心の中にも在るね。
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「善悪の評価を超えた共感の壺」があるという感覚、参加者一同で『在る!在る!在る!』と、声を揃えて盛り上がりました。
この講座は別名 茶室 と言います。参加者は皆対等という意味で使っていますが、対等な人間関係が保たれているからこそ、みなさんの心に共感の壺が現れるのでしょう。
セラピスト 福田京子