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2023-1-1 🎀新年の挨拶
あけましておめでとうございます。
それ青陽の春になれば。四季の節会の事始め〜〜〜
これは謡曲「鶴亀」の最初の部分です。
「能・狂言」というと敬遠されがちですが、能は今から650年以上前、室町時代に観阿弥、世阿弥の親子によって大成され、現代まで当時のままの形態で上演されている世界でも希有な芸能です。能が長い年月にも色褪せず人の心を魅了し続けているのは、世阿弥の書いた「花伝書」の中にその秘密が散りばめられています。
新年にあたり、その珠玉の言葉の一つをご紹介いたしましょう。
初心忘るべからず
あまりにも有名な言葉ですが、「初心」の本当の意味は、私たちが普段使っている意味とは違います。
初という文字は衣偏に刀と書き、この意味は着物を作るときに新しい反物にハサミを入れて断ち切ることを意味しているそうです。この行為は間違って切ってしまったら大変ですからとっても勇気がいるのです。
このためらう気持ちは、人生において次のステージに行く時の、あの緊張感に通じるものがあるというのです。
どんなに未練があっても、どんなに怖さがあっても、いつまでも過去の自分にすがっていては色あせてしまう。
きっぱりと今までの自分を断ち切って行く勇気が、自分自身を瑞々しい状態で保っていく秘訣だというのです。
本当にその通りだと思います。
いつまでも自分の魂を窮屈な思い込みの枠の中に閉じ込めて置かないで、新しい世界へと解き放して行くということです。
自分を守るために長年拠り所にしていた処から全く新しい世界へ踏み出して行くことは、当然未練や恐怖が一斉に出てくることでしょう。
過去の重荷が大きければ大きいほど、切り替えの際には大きな痛みを伴うことがあります。ここで都合のいい言い訳を考え出して逃げてしまうと、逆戻りをしてしまいます。
過去の辛さや苦しさをとことん感じ切って、後はお腹の感覚でそれを受容するのです。
そうすることでスーッと新しい道が拓いてくるのです。これは宇宙の自然な原理です。
能楽の根底には禅の世界観(宇宙原理)が脈々と流れており、老子や荘子の思想がベースになっています。腹(肚)に意識がきちんと収まっていれば魂に響く声も出るし、自分のことも観客のこともきちんと観えて役にも徹し切れというのです。
しかし現代人は何でも頭で受け取っていますから、捉え方に偏りが生じています。全体のバランスが極端に崩れています。
どんなに素晴らしいことでも一方だけに偏りすぎては破滅の方向になってしまうのです。それでは成り立たなくなるのです。
バランスが整うには、一見真逆に思えるものが必要なのです。明暗、善悪、生死までもそれがお互いを補い合い、支え合っているという真実です。この壮大な宇宙観に、私たちは今こそ気づく時だと思うのです。
能楽は真逆のものを受け入れ常に新境地を開いていく芸術です。その繰り返しを淡々とひたすらやっているのです。
能の主人公(シテ方)はほとんど無念な思いや悲しい思いをしている人々です。本質的には今の私たちと同じ悲しさや憤りを持っているのです。その無念さや悲しさを、脇(ワキ方)が丁寧に聴き、丸ごと受け入れて行くのです。シテは十分に受容してもらうことで、かたくなに持ち続けていた執著の心をから新しい境地を自ら切り拓いていくのです。
まさにマインドフルネス・セラピーそのものなのです。
というわけで今年も私は、能における脇方のように、皆様の心に丁寧に寄り添わせていただきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
セラピスト 福田京子