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魂で感じる哀しさ
わかりにくいタイトルかもしれません。なぜなら、魂なんてあまり馴染みのない言葉ですからね。
私たちは次から次へと用事に追われ、その上、失敗の無いようにと頭を働かせ、効率よく生活することを心がけ、ベッドに入ってまでメールのチェック。全く、しみじみと1日を振り返る暇もない日々です。
しかし、どんなに注意深く思考を巡らしても、ある日突然、思いもよらない出来事に遭遇します。そしてそれを災難と捉えるか、出会いと捉えるかで、自分の人生は大きく変ってしまいます。
誰しも、辛い出来事や悲しみは、辛すぎるので、そっとそのまま蓋をして心の奥にしまい込み、なんとか日常を取り戻そうとします。無かったことにしてしまうことさえあります。
ところが、辛さを強く感じる出来事は、自分にとってとても重要で大切なメッセージを持っているのです。
魂を振わすほどのメッセージは、怖さも、並み外れて大きいので、心のより深い処にしまい込まれているのです。
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私自身のワークから、
先日、非常に不愉快な感覚に襲われたので、とことん感じてみることにした。
57年前の母の葬式の場面が出てきた。
弱冠23歳の私にとって、誰よりも何よりも大事に思っている母が医療過誤で、麻酔から覚めると同時に、帰らぬ人となってしまった。目の前であっけなく息を引き取ってしまった母の死は、とうてい受け入れ難く、深い悲しみに襲われていた。そういう私の傍らでは、親戚や近所の人たちが、私の立ち直れないほどの悲しみをよそに、お葬式の段取りを、あれやこれとやっている。
それらは必要なことではあるが・・・当時の私の気持ちとしては、一番大事な人を私の手の届かないところへ強引に連れて行ってしまうような、どうにも耐え難いほどの辛さだった・・・
私の心は、『私の大切な人を・・・私から遠ざけないで・・・・』と、ひたすら泣き叫んでいたのだ・・・今初めて・・・あの時の私の本当の気持ちがはっきりと感じられた。
ありありと当時の情景が浮かんできて、今回も悲しくて泣いた。
しかし、今回の悲しさは、今までとは何かが違う。
水晶の涙がこぼれ落ちているような・・・どこか透明感のある清浄な感じがする・・・
一方で、深い湖の底にいるような感じもある・・・
この感じ・・・・って、もしかして、私の魂が泣いているのではないだろうか?・・・
周りは暗いのだけれど、私だけは柔らかくて優しい光に包まれている・・・
深い深い静まりかえった哀しさ・・・ふっと、何かが心によぎった。
・・・私が、自分の大事なものを大事にしてもらいたいと切に願っているということは・・・
つまり・・・お互いを尊重し合っているということだ・・・
・・・親子の情を超えた感覚がある、と。
今まで、尊重という言葉も意味も知っているつもりでいた。が、それは、頭での理解でしかなかった・・・相手の人を尊重するということを・・・体の感覚として身に染みて感じたことは無かった・・・
私の魂は、自分だけではなく、大事な人のことも、我が事として、こんなにも大切に思っているのだ・・・と、しみじみと・・・感じさせてくれている・・・そして、自分や大事な人が大事にしているものだって、同じく大切なのだ・・・と。
次の瞬間、マインドフルネス・セラピーの恩師である手塚郁恵さんの、にこやかな顔が浮かんできた。
そして優しい声で
『京子ちゃん、深い哀しみを体験しているということはね、人生にとって宝なのよ・・・』
『深い哀しみを、ちゃんと身にしみて感じられている人でなければ、本当の意味で、人に優しくできないの・・・』と。
当時の私は、未消化の悲しみを抱えたまま、郁恵さんのこの言葉を、心に響くものがあると、しんみりと聞いていた。
あれから十数年を経た今、初めて、あの言葉の本当の意味が、少しわかった気がした。穏やかなものが心の奥にしみじみと泌みてきた。
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今回、突然の不快な感覚に、じっくり留まったことで、魂が泣いているような深い哀しみに触れることができました。そして、その魂の哀しみには、弥勒菩薩の静かな笑みに包まれているような、なんとも言えない温もりと静寂がある・・・と、素直に感じられました。
寄り添ってくださったYさん、本当にありがとうございました。
セラピスト 福田京子