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深い心(魂)との対話
マインドフルネスになって、意識を自分に向けていると、体が反応し始めます。
喉がイガイガしたり、胸が苦しくなったり、頭やその他の体の痛みが急に強くなったりすることがあります。
セラピーでは、こういう身体の反応をとっても大事にして、体言葉が何を言っているのか、丹念に翻訳作業をしていきます。
先日、ある方が自分の胸に手を当てていましたら、しばらくして、ヤダヤダヤダ・ヤダヤダヤダを繰り返し言い始めました。
そのうちヤダが、重い重いに変化していきました。そして身体中、どこもかしこも重たくて、身動きができないと、顔をしかめて苦しそうにしていました。
長い沈黙の後、『偽物は嫌なんだ!』『作り物は嫌んだ!』『どんなによく見えたって、偽物じゃダメ!』と、強い調子で話し始めました。
『偽物には、魂が無いんだよ!』『魂のないものに接していても、ちっとも満たされない』『形だけなぞっていたって、そんなの何の意味もない』
親は私に対して、ことあるごとに世間に適応することばっかり強いてきた。
『お前は、無力なんだから、自分の気持ちより相手に見放されないようにしなさい。』
『うわべだけでも良いから形だけ、相手に合わせておけばいい』
・・・そういう内容のことをずーっと言われ続けてきました。
子供心にも、この親の考えには、気持ち悪さを感じていましたが、そういう空気の中で、自分の気持ちを抑圧していくうちに、いつの間にか、自分はダメ人間なのだと罪悪感を持つようになっていました。
セラピーを続けてきて、今、その気持ち悪さがなんだったのか、はっきりとわかった気がします。
・・・親の心(魂)がちっとも感じられなくて不安だった!心に響いてくるものが何にもなかった。虚しかった。ただ怖かった。形ばかりで、世間に迎合することだけしか言われていない・・・
親からは、自分の人生に真剣に向き合い、悩み、自分の感覚をとおして、滲み出てくる真実の気持ちが何も伝わってこなかった・・・全てが世間体という、形骸化した魂の抜けたものだけを、世の中はみんなそうだからと、一方的に押し付けられてきた・・・・・
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そこで呼吸を整えながら、自分の魂に意識を向けて行くことにしました。
・・・淡々としている。なんの気負いも締め付けも無い。
ゆっくりゆったりしていて自由だ。何にもこだわっていない。
・・・清々しい・・・余分なものがない。堂々としている・・・
・・・一番求めているものっていう感じがする・・・
・・・そうか!魂は、魂と出会いたいんだ!・・・
そうだね・・・出会いたい。関わり合いたいよ!・・・
こうして魂と魂で出会うと、何だかとっても嬉しいね。・・・
・・・何にも言葉を交わさなくても、満たされた感じでいられるね。
新しい何かが生まれてくるような、ワクワク感もあるよ・・・
本物が生まれてくる・・・満たされていく感じって力強いね。すごいパワーだ!だけれど「どうだ!」というギラギラした騒々しさがなくていいねー・・・
ほんとだね・・・相手に振り回されていない・・・これは、お互いを尊重しているから、気にならないんだね。関心のなさとは全然違う・・・満足されている・・・
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似て非なるものには魂がありません。自分自身のことが全く感じられないまま親になって、周りの人の真似事をやって、表面的には成功しているようでも、親の内面が空っぽで、魂の抜け殻になっていたのでは、子供の魂と触れ合うことはできません。子供は魂の化身のような存在ですから。
親の魂に触れられない状態は、子供にとって何より不安で、孤独で、恐怖です。
この恐怖や孤独感は、親や周囲の人にわかってもらうのが、とっても困難です。子供時代から、長いことたった一人で苦しんでいる方が、本当に多いのです。
一般常識での話では、意識の喜怒哀楽に反応はするけれど、魂の喜怒哀楽を感受することができません。静かに自分の呼吸に意識を向けて、自分の心の深いところを感じて行って初めて、無意識の中の魂の声を聞くことが可能になるのです。
このワークを通して、意識レベルの喜怒哀楽と、魂レベルの喜怒哀楽は、相互作用しているということ。魂の喜怒哀楽が感受できると、意識に変化が生まれ、現実の捉え方に深みが出てくるということが、よくわかりました。
次回は、この魂の喜怒哀楽について、掘り下げ感じていきたいと思います。
セラピスト 福田京子