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不必要な我慢をしない (その1)
心のことを学んでから、私は自分を苦しめる我慢が減りました。
以前は、嫌だな・・・と思うことがあっても、自分に言い聞かせをして、必要以上に物事を荒立て無いようにしてきました。我慢は美德という教育を受けて育った私は、それを良い事と思っていたのです。
そして心のことを学び始めた当初は、「我慢」は美徳じゃない。我慢が全て良くない。いま嫌だと感じているんだから、それをそのまま言動に移すことが、自分に正直になることだと、早合点していたときもありました。
しかし、嫌だとか、きついとか、ちゃんと感じる事。この事が大事な事であって、きちんとネガティブを感じながら行う事は、単なる我慢ではないとわかりました。これは無意識の自分が、この状況において必要なこととして受容していることですから、自分の心身の成長のために、必要不可欠なものと言えます。
嫌だをちゃんと感じているのと、無自覚・無感覚に我慢しているのとでは、大きな違いなのです。この違いは、感覚が明瞭になってこないと分からない大事な部分です。
ここで注意しなくてはならないことは、自分の嫌だの感情を相手に向かって出すことは、間違いです。よく『感じているんだから、感じたままに出して何が悪い』と豪語する方がおりますが、感じていることと、行為は別のことです。ここがくっついていると、存在と行為が混同しているということになります。
ネガティブな感情を一旦お腹におろして感じていけば、自ずと、どうすればいいのかが湧き上がってきます。ここで感じられた行動は、自分も、周囲の人も傷つけることはありません。一方的な我慢にもなりません。お互いを大切にしていく方向になっていきます。私たちのいのちの願いはここに在ると思っています。
現代は、すべてのことを頭で考えていきますので、この自然の節理を忘れがちです。今こそ、感覚を研ぎ澄ませて、自然の道理に立ち返っていく事が大切だと実感しています。
セラピスト 福田京子