マインドフルネス・セラピー ぬくもり

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2020.11.28
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余分な気持ちの思い込み

 

前回のブログの中で「上手にやろうとか、失敗しないようにという気持ちを捨てました」と、あっさり書きましたが、実は、やっと、こう思えるようになったのです。

 

私は、子供の頃から興味のあることには突進するほうなので、夢中になりすぎ、周りが見えなくなるところがありました。大人になってからもその傾向があり、苦しむことがあります。

 

そのつど反省してきたのですが、ある時、尊敬している先生から『反省のし過ぎはよくない。何がどうだったのかさえ分かれば、それだけでいいのだよ』と言われ、心の深いところがドッと動きました。

 

それより前に、マインドフルネス・セラピーの第一人者である手塚郁恵先生に師事し、自分の中の思い込みに気づき始めておりました。

 

思い込みというのは、その人にとってその時の信念です。私の場合は、ちゃんと反省すれば、心が成長し物事がうまくいくというものでした。しかし、反省をし過ぎると、自分に非があったような気になる怖い落とし穴にもなるのです。

 

反省は現実面においては、不都合なところを見つけ出し、効率良く改善を図っていく良い方法ですが、内面においては、反省ではなくて、きちんと自分自身に向き合って観察し、事実をきちんと認識する内省だけでいいのです。

 

私が反省を良いことだと思い込んだのには、訳があるのです。自分の行動を省みない人が嫌いだったからです。平たくいうと、私の気持ちを大事にしない人が嫌いだったのです。父の顔が浮かびます。

 

父は外では愛想がよいのですが、家に帰ってくると、玄関を入るやいなや些細なことに文句をいうので、せっかくみんなで楽しく団欒しているのに『ああ〜』とがっかりしてしまうのでした。

 

子供の私は、そういう父が家族の声に耳を傾け、些細なことに文句を言わなくなることを願っていたのです。それには父が反省してくれることだと真剣に思っておりました。

 

成長するにつれ、反省することは、不都合が起きているということだから、なるべく反省しないほうがいい。そして反省しないためには失敗しないようにすればいいのだと、最初の気持ちからは随分と離れた気持ちに変化していった気がします。いつしか私の中では失敗と反省がセットになって、失敗したくない気持ちが強くなり、余分な緊張や余計な気遣いに窮屈さを感じるようになっていたのです。

 

そこで、失敗に意識を向けて観察することにしました。失敗に意識を向けることは、自分の見たくないところを観察するということです。

 

恥ずかしい、悔しい、悲しいというネガティブな感情が大きく出てくると、失敗に意識を向けることが苦痛になって、実際に起きている事実が見えなくなってしまいます。

 

私は、マインドフルネスを学ぶことで、ネガティブな感情を静かに眺めることができ、感情に飲み込まれないようになりました。

 

子供心に反省さえすれば良い人生が送れると思い込んでいましたが、これは子供時代の考えだったと気がつきました。本当は、家族を始め周囲の人との対等な人間関係を切望していたのです。お互いの気持ちを尊重し合う関係で居たいという「いのち」の本質的な願いを持って居たのです。

 

私は自分を観察する習慣を身につけることで、出来事を事実は事実として、余分な気持ちをのせないでシンプルに捉えることができるようになりました。父のことも、自分が嫌だったことの本質がわかったことで、以前のような父親嫌いがなくなってきました。このことは、何より嬉しいことです。

 

心を学ぶこと、自分自身の内面を冷静に観察する習慣をつけていくことは、非常に大切なことです。学びがなければ子供時代に作られた思い込みを、いつまでも、そのまま引きずり不必要な緊張や嫌悪感をそのまま持ち続けてしまいます。これでは人生を十分に楽しむことができません。

 

自分の弱さを冷静に観ていくこと、可能性を拓くということは、自分の新しい発見なのだと思っています。

 

セラピスト 福田京子

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