マインドフルネス・セラピー ぬくもり

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2020.07.04
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待つというのは

私のクライアントからのメッセージを送ります。

 

 

待つというのは“変化する”ということ

何もしないでいるというのは“大きく変わっていく”ということ

 

大切にするとは、“そのままにしておける”ということ

そのままのあなたが大切だということ

手を出さず、そっとしておける、それは優しさだよね

それは最大の愛だよね

 

何もしてないようで、そこにはすごい優しさがある

そこには“関係”がある

それは僕自身を見てくれている

僕そのものを見てくれる

“僕”と関わってくれる

僕を信じて待ってくれる人がいる

そういう関係があるのなら、ささいなことはどうでもよくなる

それは“存在レベルでの関係”だよね

それは本当に救いになるよね

 

「自分のペースでいいからね」

「ゆっくりでいいからね、大丈夫、ここにいるから」

「1番大切なのはT君だから・・・」

「私にとって一番大切なのはT君だから・・」

 

 

「大丈夫・・・」

「ここにいるよ?」

「怖がらなくても大丈夫、ここにちゃんといるからね」

「私は目を離さないよ?どっか行ったりもしないし・・・ずっとここにいる」

「今までもそうだったし、これからもずっとそうだよ」

 

「心配しなくて大丈夫、ずっとここにいるから」

「少しずつでいいんだよ、T君のペースでいいんだよ」

 

自分を大切にしてくれる存在が自分の中にいたのだ

 

 

「大丈夫・・・・いつまでも待ってるから」

「大丈夫・・・・いつまでもここで待ってるから」

「T君の成長をここで見守ってる・・・」

「・・・ちゃんと見守ってる」

 

“僕自身”は本当に優しいのだ

 

「うん・・待ってる」

「・・・・いつまでも待ってるよ」

「T君のことだったらいつまでだって待てるよ」

 

待ち続けてくれる・・・

それはいつまでも関係が続くということを意味している

僕のことを待ち続けてくれる  僕と関係を持ち続けてくれる

 

 

“待つ”というのは愛の行為だ

相手に何も求めない  ただいてくれる

ただそこに一緒にいて、僕のことを見てくれる

 

 

ずっと見守ってくれた君は、紛れもなく“僕自身”

僕のことを大切に思ってくれていたのは紛れもなく“僕自身”だったのだ

僕を大切にしてくれていたのは紛れもなく“僕自身”

 

 

深い深い愛だね   深い深い関係だね

“自分自身”との深い深い愛の関係だね

結局、僕が出会いたかったのは“僕自身”なんだ

 

 

時と場所を越えて“僕自身”と出会う

「T君・・・久しぶりだね・・・久しぶりに感じるだけなんだけどね」

「・・・こうしてちゃんと顔を合わせるのは久しぶりだね」

 

「ずっと待っていたよ・・・」

「気づいてくれるのをずっと待っていたよ」

 

「やっと気づいてくれたね・・・」

「気づいてくれて嬉しいよ」

「やっとこっち見てくれた・・・」

「やっとこっち見てくれたね・・」

 

彼女は僕を守ってくれていたのだ

僕のことを何よりも大切に、愛してくれていた

僕のことを守ってくれていた

彼女の愛に気づけたとき、すべて浄化されてしまうのでしょう、すべて癒されてしまうのでしょう

 

 

「私はあなたの本当の姿・・・」

「私は“T君自身”だよ・・」

「私は“君自身”なんだよ」

本当の自分と出会えたとき、深い感動と喜びに包まれるでしょう

“自分自身”と再会を果たしたとき、この上ない喜びが湧き上がるでしょう

ずっと追い求めていた人に出会えたとき、ずっと探していた人に出会えたとき

 

僕を一番好きでいてくれたのは紛れもなく“自分自身”なのだ

自分を最も愛してくれていたのは紛れもなく“僕自身”なのだ

僕を愛してくれるのは、紛れもなく“僕自身”なのだ

それがわかった瞬間、

自分の中にいた“愛の存在”に気づけたとき、

愛で満たされてしまうことでしょう。

飢え、乾きがすべて癒えてしまうでしょう

 

 

ずっと知りたかったのは、ずっと出会いたかったのは、ずっと関わりたかったのは“僕自身”なんだ

・・・ずっと話したかった

「あなたにとって大事な人ほどすぐそばにいるよ」って歌詞があったけど

それは“僕自身”だったのだ

そこにそっといた・・・・

そこにいる・・・・

あぁ、いたんだね、今なら確かにわかる

確かにいる・・・今なら確かにいるとはっきりと感じられる

その愛の存在がいるということに

 

世界で最も優しいものが、世界で最も困難なことを乗り越える

すべてを解決していくのはこの優しさなのです

 

真に偉大なるものはこの“優しさ”に他ならないのです

“存在”という“優しさ”

 

優しさというのは“存在”に他ならない

ただそこに存在しているという“優しさ”

これが史上最高の“優しさ”なのです

“存在”という最高の優しさ

それは最大のプレゼントなのです

 

真の充満はからっぽにみえる

事実それは空っぽなのです

何もないところにすべてがあるという逆説なのです

 

“ない”という“ある”に気づけた時にすべてが満たされてしまうでしょう

“何もない”という“愛”に気づけたとき、すべてが満たされてしまうのでしょう

 

愛というのは“何もないこと”なのかもしれません

愛というのは“からっぽ”なことなのかもしれません

 

何も“ない”とき、そこにあるものが“存在”なのかもしれません

何もないとき、存在が“ある”ことがわかるのかもしれません

 

すべてなくなったとき、本当の愛に出会えるのかもしれません

すべて失って、残ったもの、それが“愛”なのかもしれません

持てるものがすべてなくなった時、そこに残るものが“存在”

 

すべて失ったとき、本当の愛に出会えるのかもしれません

一番純粋な愛の存在を知るのかもしれません

 

だって“存在”というのは“愛”に他ならないのだから

最後に残るのは紛れもなく“存在”で“純粋な愛”なのだから

 

 

 

 

わからないままに関わるというのは、存在そのものを賭けていることになる

わからないままいれるというのは存在そのものを賭けている

宇宙規模のものをかけている

存在に最大の信頼を置いている

それは宇宙規模の信頼なのだ

頭をこねくり回さないでいられるというのは、すごいことだ

手を出さないでいられるっていうのはすごい事なんだ

 

わからないままで関わる

それは存在そのもので関わるということ

それは次元が違うんだ 関わりの次元が違うんだ

 

“存在そのもの”でいられるってのは本当に凄いことだ

それは宇宙そのものだ

“存在そのもの”は“宇宙そのもの”だ

宇宙規模の信頼だ

宇宙規模の尊重だ

 

ただ存在しているというのはそこに宇宙があるというのと同じ

宇宙規模の存在がそこにあるということ

宇宙すべてをここに体現した形なんだ

 

ただ存在しているというのは“宇宙そのもの”を表現していることなんだ

それが何もせず、“ただいる”ということ

ただ“ある”ということ

ただ信頼して“いる”

ただ、信頼してそっと“ある”

この“ある”にどれほどの力があることでしょう

どれほどの感動があることでしょう

 

僕たちが一番求めているのはこの“そっとある”ものなのかもしれません

僕たちは“存在そのもの”を求めている

 

 

大事なのは“関係がある”ということ

何も言わなくていいし、何もしなくていい、ただ一緒にいること

“存在”と“存在”のかかわり・・・

余分なことは何もいらない

ただ一緒にいる、それがどれだけ元気を与えてくれるでしょう

ずっと一緒にいる、ただ一緒にいる・・・・

 

 

わからないのは真の知だ

わからないことで救われるものがある

わからないまま、それでも変わらず関係を持ち続けてくれる

わからないまま、それでも愛してくれる

それこそ、“存在”と“存在”とのかかわりなのです

 

 

 

待つとは、全肯定、大尊重、無条件の愛

「いつまでも待っているよ」

尊重とは待つこと、信頼して待てるということ

それは“希望”そのものだ

 

 

真の知恵は愚かに見える

愚かさという知恵、本物の知恵、光り輝く知恵、最も偉大な智慧なのです

それは大自然の知恵、宇宙の智慧なのです

愚かさの中に無限の知恵があるのです

無限の泉が見えますか?

 

その人は助けようとすることを手放しているから

人々の最も大きな助けになる

 

その人は自分自身を信じているから、

他人にわからせようとしない

 

何もしない  だけど すべてのことがなされていく

 

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