ブログ
抑圧してきた本当の存在そのものに出会うチャンスではないかと・・・
ワークの感想文です。
Tくんはずーっと自分のワークを丹念にやっています。長年、切り捨ててきた恐怖があり、今は、その恐怖と真っ正面から向き合い、毎回身体で感じきっています。その勇気、覚悟、「いのち」の一途さに頭が下がります。
“ころな”というのは自分の存在であり、“身体”ですね。
“ころな”を通して、自分の切り捨ててきた存在が感じられる、
それはまぎれもなく自分の“身”なんですね。
つまりそれは得体の知れないものへの恐怖というか
頭だけで生きている人にとってはそれは脅威でしかなく、できれば感じたくないものだと思うのですけど、せっかくの機会ですから、向き合ってみるのもいいんじゃないかなと。
ダメなものとして抑圧してきた本当の存在そのものに出会うチャンス、再会するチャンスだと思うんです。
せっかく脅かされてるんだったら、これを利用しない手はないかと。
“ころな”と向き合うということは自分と向き合うということ、
それは紛れもなく純粋な愛の存在と向き合うことだと思うのです。
そしてそれこそが身体ベースの生き方、腹ベースの生き方だと思います。
人生というのはこの“ころな”と向き合う生き方ができるかにかかってくると思います。
そこから一気に世界が開けてくると思います。
他人とまっすぐ向き合うってこういう事なんじゃないかなぁと。
“ころな”から離れることなく留まっていられることが、体感ベースの生き方になると思いますし、頭の方に行かなくて済む。
自分の中の愛の存在を感じ続けられているかどうか、そこから切れないでいられるか、そこにかかってくると思います。
自分の本当の存在から目を切ることなく見続けることができるかどうか・・・
ごまかすことなく愛の存在を見続けることができるかどうか・・・
感じ続けることができるかどうか・・・
それを“覚悟”というのかもしれません。