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本格コンソメスープに挑戦!
クリスマスの料理に挑戦ました。
今まで作ったことのないコンソメスープを、3時間かけて、下ごしらえからゆっくりやってみました。材料と向き合い、時間に追われることなく丁寧にかき混ぜながら、少しずつ変化していくのを感じていくのは、なんとも言えないものがありました。
今まで、こんなにのんびり調理したことなかったなぁ・・・
60代までの私は自分にノルマを課し、特にクリスマスからお正月にかけては、12月に入ると障子張りから始まる仕事リストを作り、チェックをしながら次々家事をこなしていくことに快感を覚えておりました。今思うとこれって、私はこれだけのことができます。認めてくださいという自己アピールだったのです。
どんなに頑張っても、決して褒めてもらえない「嫁」という環境の中で、当時は無意識にやっていたのですが、なんとか結果を出して自分の存在を保とうとしていたわけです。若さとエネルギーがそれを支えてくれていましたが、なんでここまで頑張るのかわからないまま、ひたすら頑張り続けていたのです。
ゆっくりとスープを煮込みながら、そういう健気な自分を『よく頑張ってきたね。素晴らしいよ!』と、そっと抱き締め自分で自分を認めて褒めました。
生き物は、人間に限らず自分の存在を認めてもらいたいという要求が強くあります。この要求こそ、「いのち」そのものですから「我ここにあり!」と産ぶ声を上げてから死を迎えるまで一貫して存在を主張し、互いに認め合いたいと願っているのです。
その願いを嘲笑されたり無視されたり、否定され続けていれば、生きる希望を見失ってしまいます。そうならないために、おかれた立場で最善の方法を考え出すことは当然のことです。アトピーなど身体の反応として主張する場合もあれば、がむしゃらな働き方をしたり、不登校、引きこもりなど実際の行動をして、必死に自分を主張している場合もあります。引きこもっているからと言って、人とのコミュニケーションを拒んでいるのではないのです。むしろ、その反対で心から、人と人の本当のコミュニケーションを誰よりも深く望んでいるのです。うわべの関係ではなくて、存在を互いに認め合う関係、対等な人間関係を求めているのです。
実は、本当のコミュニケーションってどういうこと?という深い心のレベルの話なのです。
ごく一般的な親と子の関係は、ほとんど上下の関係になっていて、人間の存在において対等ではありません。親は子供に自分の価値観を押し付け、自分の都合の良い子にしようとしているのに、それが子供のためだと錯覚しているのです。これが愛情だと本気で思っているのです。でも、子供は本当の愛を知っています。
子供は、親が自分の人生に本気で向き合い、自分の存在を大切にしている姿に触れたいと思っているのです。生きることは、なんて素敵なことだ!と「いのち」を輝かせている大人に出会いたいと思っているのです。
いのちのバトンを次の世代へ渡していくことは、まずは親世代が自分の人生に真正面に向き合うことです。自分と向き合うことで子供との関係が良好になって、お互いの心が深まっていくのです。
丹念にコンソメスープを煮込みながら、こうして食材と向き合い対話しながら、料理をしているこのひと時は、人生そのものだなぁと実感していました。すぐ結果の方に関心が行きそうになりますが、このプロセスを感じていることの豊かさは、結果への不安を、吹き飛ばしてくれます。ちゃんとプロセスを感じていくと、スープの澄み具合の変化に気づき、塩加減も慌てず落ち着いて、私なりで最善を尽くすことができました。
テーブルセッティングも、あるものを工夫して、食卓に彩りを添えました。料理も、一つ一つの存在が他と調和して、「今ここ」の味を醸し出しているので、自ずと笑みがこぼれてきます。落ち着いて丁寧に作られたものは、胃袋だけでなく、心をも満たしてくれたようで、なんとも言えない心の充足感を家族で共有することができました。
幾つになってもやったことのないことに挑戦することは楽しいものです。そこには新鮮な発見があります。
セラピスト 福田京子