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感じる <その3>
共感について
私たちは暑さ寒さをはじめ、瞬時に色々なことを感じていますが、習慣的に自分にとって不都合なことは、次の瞬間には回避する方法を考えているのです。感じると同時に次のことを考えているのですから、これは感じているとは言えないでしょう。次に紹介する会話は、何処にでもある普通の会話ですが、ちょっと留まって感じてみてください。
『今日はちょっと蒸し暑いね』と言った途端に『エアコン点けるのはまだ早いよ』という言葉が返ってきたとしたら、あなたはどんな感じがしますか?
もし、感じたままをそのまま言葉にした時、側にいる人から『本当にそうだね』という一言が返ってきたならば、少しはホッとしませんか。ただそれだけで、ふわっと肩の力が抜けて、お互いに顔を見交わすかもしれません。
一見些細なことのようですが、今感じていることに、『そうだね』の共感の一言があるかどうかは、とても大事なことなのです。
実は、自分が感じて居ることに共感してもらえたか否かは、自分の存在につながる大きなことでもあるのです。
子供は、今感じたままの気持ちを表現しますが、大人は自分の価値観を押し付けたり、『そんなこと、どうでもいいから』と否定したり、めんどうくさそうに『ふんふん』と、軽くあしらってすませてしまうことがよくあります。子供にとっては、ただ自分の気持に共感してもらいたいだけなのに、毎日がこんな風だとしたら訳のわからないモヤモヤが募ります。そしてこのモヤモヤは、自分は居ない方がいいんじゃないか、生まれてこなければ良かったんじゃないかという思い込みに繋がっても不思議ではありません。「自分に自信がない」という方の中には、「共感された体験が一度もない」とおっしゃる方が本当に多いのです。現代人は、頭での判断力が生きる基準になっていますから、意見に合意をすることはあっても、相手の気持ちに共感することが、とっても苦手なのです。
共感は、目に見えない気持ちに対して、意識を向けること、関心を示すことです。共感することは、一見、簡単なようですが実は現代人にとっては、とても難しいことなのです。なぜなら共感は、頭での判断力ではなく自分の気持ちにきちんと気づいて、感じて居なければできないことだからです。これを頭の理解力でやろうとすると「似て非なるもの」になってしまうのです。
他人に合わせることと、共感は違います。その違いは、マインドフルネスになって自分自身に意識を集め、じっくりと身体を感じ、お腹の奥の感覚を目覚めさせていかないと、感じられてこないのです。
人間関係は共感力そのものといって過言ではありません。共感しあえて初めて、相手の人への信頼がお互いに芽生えてくるのです。今こそ、家庭や学校、職場等において、個々人が「感じる力」を養いそだて、共感的で、安心した人間関係を築き上げて行く時だと思います。お腹の感じる力と、頭の判断力とが相互に働きあってこそ、人間が人間として活き活きと生きていくことができるのだと思っています。
福田京子