ブログ
「人が怖い」という気持ちの下に
A君とのワークです。
『何気ない会話ですが、先日、母が本当の気持ちを出していたので、僕も、その事に対して感じている事をちょっと言ったら、母は途端に本音を引っ込め何事もなかった素ぶりをしてきたんです・・・あっ!これだ!・・・僕は素の自分をちょっと出しただけで、いつも、肩すかしを食らって、気持ちの行き場を失ってきたんです・・・』という会話から個人セッションが始まりました。
『今まで気持ちを感じないようにしてきたから、そんなものかと思っていたけれど、これは辛い!』と、 A君は頭を左右に振りながら『う〜ん・・・ちがう〜』『母はいつも・・・こうやって偽善的になって・・・素の俺を、ことごとく否定してきた・・・』と、静かに呟きながら、心の奥へと入っていきました。
『俺は、偽善的な表面的な関係を求めているんじゃない・・・』
『感じていることを、お互いに共感し合いたいんだよ・・・』『それなのに日常の会話が、いつも表面的な会話でしか無い。これじゃ気持が全く通じない・・・安心して話ができない・・・』
『本当は、辛い時とか、心が弱っている時とか話を聞いてもらいたいのに、日常的に心が繋がれていないから、話せるわけがない・・・これじゃ怖くて当然だ』
『弱い自分なんて出したら、どんなに惨めなことになるか・・・怖いよ・・・』
『弱い自分を知られるのが・・・すごく怖いよ・・・』
『本当はね・・・僕はね・・・人が大好きなんだよ・・・』
『人と繋がりたいと、強く思っているんだよ・・・』『人が大好きなんだよ!・・・』
A君は涙を流しながら更に続けて言います。
『本当のコミュニケーションは、自立した者同志でなければ、できない!』
『両親とも自分の本当の気持を見ないで誤魔化している。誤魔化し切れないイライラや怒りを子どもに向けて、無視したり、罵声を浴びせたり、時には手まで挙げて脅してくる。』『八ツ当りをして親のイライラを発散させている。』『これは、酷いよ!』『子の身になって感じてみろよ!これじゃ、一人でぼっちだよ!』『こういうことが子供にとって、どんなに恐ろしいか・・・わが身になって感じて見ろよ・・・』『あまりの怖さに・・・人が嫌いになるしか生き延びる術がなかったんだよ・・・』
『それなのに・・・結果だけを見て・・・学校に行けない・・・のはお前に問題ある・・・弱すぎるからだ・・・と、子どもだけの問題にして、親達は自分の立場を正当化している』
『これって・・・おかしいよ!』
『子供の頃は・・・感じていることを言葉にしてちゃんと伝えられないし・・・うまく表現も出来ない』『嫌だと言って駄々をこねることも、許されなかった・・』『泣くというギリギリの表現だって、選択の余地を与えられず否定されてきた・・・』
『今、優しく、辛い気持ちに寄り添ってもらって、初めて、俺の心がこんなに悲しがっていたんだと分かった・・・』『こうして・・・しみじみと・・・親身になって話を聞いてもらったことで・・・冷静に事実が見えてきた・・・』
『人が怖いというその心の下には・・・人と繋がりたい・・・人が嫌いというその心の下には人が大好き・・・という切なる思いがあることを・・・その真実をわかって欲しい・・・』
コメント
これはまさに、血を吐くようなA君の心の悲鳴であると同時に、無意識の中からの声です。親を責めているのではなく、むしろ親に語りかけているのです。『お父さん。お母さん。自分自身の内面に目を向けてよ。目覚めてよ。内面がわかってくれば、自分のイライラは外に向かって出すのではなく、自分への大事なメッセージだということがわかるよ・・・こういう自立した関係になって、お互いに出逢えて良かった・・・人生って色々大変なこともあるけど・・・生まれてきてよかった・・・と共感できる人間関係を一緒に創っていこうよ・・・』と、A君は親に語りかけて居るのです。
A君は初めは、自分が悪いから辛いことが起きると思っていました。が、セラピーが進むに連れて、状況が良く分かってきました。それまでは、自分には怒りはないと言っていました。が、最近は心の深いところに怒りがあることに気づき始め、それからは自分で自分を責めなくなってきました。
どんな状況にあっても、誰のことも恨んではいないのです。あるのは自分の本当の気持ちだけなのです。
親に復讐したいわけじゃないのです。人に怒りを出したいのではないのです。自分の怒りは怒りとして燃やし尽くしていけばいいだけなのです。怒りの不純物が燃え尽きた後には、怒りはやがて、深い心の奥から少しづつ変容していきます。「いのち」はどうしたいのかちゃんと知って居るのです。存在が丸ごと信頼されて居ると感じられれば、安心のスペースの中から、本当のメッセージを伝えてくれるのです。
こうして無意識と繋がった「いのちのワーク」に導かれていくと、歓びも悲しみもみんな一つのものなのだと自然に思えてくるのです。マインドフルネスになって、事実が事実として見えてくるだけで、人は、誰のことも批判したり責めたりしたくないことが、自分の感覚としてはっきり感じられてくるのです。
頭では考えられないことですが、人間の心の深いところには、こういう叡智が宿って居るのです。人間の心の深いところには、はかりしれない優しさが宿って居るのです。
マインドフルネス・セラピー 福田京子