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細道での出来事

先日、一方通行の細い道を歩いていた時のこと。
約100m先に車が見えた時「そうだ、ここでゆっくりと、あの車を待とう」と思った。
ややあって、その車が通り過ぎる時、とっても気持ちの良い空気がぱっと辺りに広がった。
言葉を交わしたわけでもないのに・・・この心地よさは一体なんなのだろう・・・
この道はよく通っていて、車が来るたびに「車だ・・・避けなければ・・・」口には出さないけれど、内心では「急いでいるのに・・・面倒だな・・・」と思いながら道の端に身を寄せていた。
しかし今回は、私の心の内には焦りがないばかりか、「道の細い坂道だから、お気をつけて・・・」と言う気持ちが働いていて、なんと・・・その車に軽やかに会釈までしていた・・・
この違いは、いったい何なのだろう・・・
この時の空気が一変したような清々しさは、時間が経っても色褪せしないばかりでなく、幾つもの気づきが自然に生まれてくる。
思えば私は「これだ・・・」と思ったら、周りが見えなくなって、偏り疲労が起きるまで夢中になるのが快感だったが、最近、これってなんだか不自然だな・・・と感じ始めていた。
「これだ・・・」の沸き起きる場所が微妙に変化している・・・以前は世間一般の価値基準、人よりも早く、多く、無駄なく、正確に・・・と言う比較がベースになっていた。
でも今は、競争や比較などの価値基準に興味がなくなっている。
ここに重きを置いてしまうと、焦りが付き纏ってくるし、不安も出てくる。ひどくなると自己嫌悪感というお化けまでが顔を出しかねない。煩わしいことこの上なしだ。
そこにエネルギーを使っていたら、この人生いくらあっても間に合わないから、今まで当たり前にやっていることや、同じことの繰り返しを無意識にやるのではなく、「今日は、こうしてみようかな・・・」と、小さな試みをしてみようと思っていた。
これは、気まぐれな私には丁度良い挑戦になると同時に使い古した「思い込み」を手放していくのにも一役買っている。
手放すことは、無責任になることではない。世間一般の価値観に囚われないで居ること。
世間の価値観に囚われすぎると、〇〇しなければ・・・や、私が何とかしなければ・・・
に縛られてくる。
規則や他人に言われた通りにやっていれば、安全は保証されるけれど・・・これだけやっていたのでは・・・全く面白く無い。
今回の私は、自分を先に進めようとしないで、遠くからくる車をゆっくり待っただけのことだったが、ルールだからやっている時とは全く違う世界が展開した。面倒だと思っていたことが、相手への思いやりにまで変換されたことになる。
みんながやっているから、とか、言われた通りと言う外側からの価値基準をベースにした行為にはパワーがないが、直感に身を委ね、目の前のことに善悪などの感情を付けずに、そのまんまを受け入れてみると、楽しさが全然違う。一瞬にして景色が一変して、輝き出すのだ・・・
自我の世界だけで生きるより、自分の感覚を磨いてそれを信じて生きるほうが、心の自由があって、何より感動がある。生きるって・・・こう言う細やかなことを味わっていくことなのだな・・・と、嬉しくなった。
セラピスト 京子
