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然るべき姿になる

最近この言葉の持つ大切な意味をかみしめています。
生き物はみな、森羅万象全てが自ら然るべき姿になっているのです。
人間だけは優れた頭脳を有しているので、こうありたいと思う姿になって、研究や努力をかさねて今日の文明を作り上げてきた様に思います。
人間の頭が欲望を募らせ、追求し、自分たちにとって都合が良くないと思えば排除し、色々と手を加えて改良し、今日に至っているわけです。その一方で自から然るべき姿になっている大自然を破壊し続けているのも現実です。
人間もベースは然るべき姿でなければなりません。つまり、人間だって植物に例えるなら松は松、桜は桜、梅の性、楓の性と一人一人違った性が備わっているわけです。松の性の親が桜の性の子どもを、自分と同じ松にしようとしたって、どんなに努力をしても桜は松にはなれないのです。
植物は外見が違うのでわかりやすいのですが、人間の外見は同じで松を桜になれと無理なことを押し付けていても気づけないのです。
親と子の確執は、まさにこういう単純な思い違いから生じていると言っても過言ではありません。
人間は外観は同じようであっても、見えない部分は一人一人みんな違っているからこそ見えない部分の違いをお互いに認め合って、大切にしあうことができる素敵な存在なのです。
対等な関係とか、尊重というのも、見えないところの違いをお互いに認め合うことから始まっているのです。
このことを体験的に感じていかないと「然るべき姿になる」ということの意味がわからないと思うのです。
どうしたら体験的に感じられるのかというと、マインドフルネスになって呼吸を感じていくのです。ゆっくりと息を吐き、ゆっくりと息を吸う。これを繰り返していくうちに、だんだんと感覚がひらかれてきます。初めからうまくいきません。セラピストの援助を受けてレッスンしていく必要があります。
感覚のフィールドがひらかれてくると、いろいろなものが対等な関係性になってくる・・・ここから発せられてくる言語は応答的であり、我が身の感覚として相手のことが感じられるようになります。悲しみも喜びも他人事ではなく、我が身に染みて感じられてくるのです。
この状態になって初めて、気持ちが通じ合う感覚を互いに味わうことが出来るのです。
この魂の響き合いの体験が、自分らしい感覚の目覚めになっていきます。
自分として生きるということは「然るべき姿でいいのだ」と実感できるわけです。
以前のように親や周囲の人の顔色を見ながら、オロオロして生きなくて良いのです。
さあ、意識の世界から離れて無意識の世界で感じていきましょう。本来の自分を取り戻していきましょう。
セラピスト 福田京子
