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困りごと
生きていれば、誰だって「困りごと」に遭遇します。
あなたはそう言う時、どうしていますか?
無視する。適当にやり過ごす。他人のせいにして済ませる・・・
もしくは、自分が悪いからこうなるのだと思って落ち込む。諦めて無気力になる・・・
そもそも「困り事」って何だろう。
「困り事」というものが実際に存在しているわけではなく、「困り事」と名前をつけてしまうから、それは良くない事。排除するべきこと。なんとかしなければいけない事・・・となって悩みの種になるものの総称。
それなら「困り事」と命名しなければ、「困り事」にならない・・・かも。
じゃあ命名しないとはどういう事だろう・・・
「困りごと」には、ある事柄に感情や評価という色々なものがくっついている感じがする。
ある事象から感情や評価を取り外したら・・・
裸になった事象だけなら、単なる事象として観察していくことができる。
淡々と観察していれば、事象の傾向や法則のようなものが見えてくる。
微かに傾向や法則が見えてきたら・・・・
さらに観察し、その傾向や法則に則していけば、自ずから、その事象はその事象のあるべき姿になっていく。
それは自然の摂理だから・・・
ただ則していく。そこには、まっさらな道がひらけてくるに違いない。
何にも思い悩む必要はない。恐れる事もない。ただ物事があるべき姿になっていくのを、静かに見ていけば良い。自ずから動いていくのを邪魔しないでいる。
確かに・・・そうだ!
ここは人知の及ばないところだから。落ち着いて見て待っていれば良い。
全ての事象はみんな、おさまる所をちゃんと分かっているのだから。それに委ねていれば良い。
自然に体が動いていく方向で、行なっていれば道筋がはっきりしてくる。
ここまでくれば、もう困り事ではなく、新たな一歩になっている。
命名しないということが、こんなに物事をシンプルに進めていける。と、いう発見は、まさに「目から鱗」である。
どんなことでも、レッテルを貼らずに丁寧に感じていけば、思いもよらない発想の転換がおきて希望につながる。
頭で解決しようとすると「困り事」は無理を生み不平不満が出るが、感覚に委ねていくなら、物事が腑に落ちて可能性が広がっていく。
どうぞ試してみてください。