ブログ
日常的な存在の否定
気づくと、頭ごなしに叱られて何も言えない。反論の余地がない・・・こんな状態が日常だとしたら「自分なんて居ない方がいいんだ・・・」と思ったって当然です。
また、優しい口調で叱られ感はないけれど・・・絶対に逆らえない雰囲気がある・・・などは、真綿で首を絞められているようなもので、前者よりもさらに深刻です。
現代においてこんなひどいことがある筈ない!と思うかもしれませんが、実際には日常的に、極めて気づきにくい形で、平然と行われているのです。
そもそも子供は何も分かっていないから、正しいことを教えなければならない・・・という考え方を前提としていた場合は、気持ちの応答的なやりとりはできないでしょう。
しかし、子供は幼ければ幼いほど人間の本質的な姿そのものですから、どんな状況であってもまずは肯定的に受け止めていく。
そういう認識の上で、不都合なことが起きているなら、応答的なやりとりをしながら、どうしたらいいのかを共に考えていく。分からない時には丁寧にきちんと教える・・・互いに支え合っていくという対等な姿勢が、本来の人間対人間の自然な関わりの姿だと思うのです。
子供は言語や知識は不十分であっても、存在として大事なことを、感覚としてちゃんと分かっているのです。この感覚を大人が忘れてしまって、無視してしまうところに日常生活そのものが、存在の否定の場になっていることに気づいて欲しいのです。
例えば、一歳にも満たないうちから何でも上手にこなせることを良しとし、できたことのみを見て、すごい!すごい!と褒めている大人の姿をしばしば見かけます。
これらの関わりは、子供にとって上手にいかなかった時、どんなに辛い思いになるか親には想像つかないでしょう。
兄弟間で上手くこなせる子と、そうでない子とかがある時など、見えている現象にのみに反応するのではなく、見えない気持ちに親が気づくことがとっても大事になってきます。
やっとの思いで辛い気持ちや困っている気持ちを泣いたりして訴えているのに、わがままだと決めつけられたり、たしなめられたりしたら自分は大切にされていないと感じても当然です。
こういう時に親から『どうしたの?』って浮かない子供の表情に気づいて声をかけ、気持ちを汲み取ろうとしてもらえたなら、子供はどんなに嬉しいことでしょう。自分のネガティヴな感情に気づいてもらえて、気にかけてもらえることが、大切にされていると実感できる瞬間ですから。
上手くできたことだけを褒められるのは、子供にとって、最初は嬉しいかもしれないけれど、だんだん苦しくなってくるはずです。
存在の否定を根底に抱えたままでは、人間はハツラツと生きていくのが難しいものです。自分に何と無く自信が持てないと感じているなら、誰からも気づいてもらえていないネガティヴな自分の気持ちに、まずは気づいてあげてください。