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自分への新発見(コア・ビリーフからの脱却)
自分のことは自分が一番よくわかっていると思っているのですが、実は他人からの言葉や評価を基にして、自分はこういう人間だ・・・と思い込んでいるところが多々あります。
私はこれは重要だと思うと、とことん突き進むことが好きで、それが困難なことなら一段とやる気が増して気がすむまでやり続ける。途中で投げ出さない。そういう自分を我ながら誇らしく思っておりました。
ところが最近、今まで自分らしいところだと思っていたこの部分がなんとなく違和感になってきました。
「頑張るのが好き?」「えっ?」「なんか、おかしいな?・・・」「過去に頑張ったことを褒められて、嬉しかった体験があるんじゃないの?」・・・と、自分への問いが膨らんできました。
そういえば母は生前昭和19年の暮れ、満州から引き揚げてくるとき寒さの中、はるかかなたに停泊している船に乗るため、長い長い行列の中を歩かなければならなかった時のこと。
母は1歳の妹を背負い、両手には荷物を持って3歳の私を連れての心細い長旅。周囲の人々もみんなそれぞれに精一杯で、厳しい状況におかれています。
『大人でさえ大変な状況なのに、京子は健気に頑張って泣きわめいたりしないでちゃんと歩いてくれた』『周囲の人からお嬢ちゃんは我慢ができてお利口さんだねって褒められたんだよ』って・・・言っていたことが思い出されました。
あっ、この体験は私のコア・ビリーフになっている・・・私の頑張りのルーツはここにある・・・と直感しました。
そこで私はイメージで幼い私に『寒いね・・・』『足が冷たくて痛いね・・・』『抱っこして欲しいね・・・』『あったかいものが食べたいね・・・』と優しく語りかけ、体が暖かくなってくるまで幼い私を、しっかりと胸に抱きしめました。
とめどなく涙がこぼれました。
『もう、状況を判断して一人で我慢しなくていいよ・・・』『そんなに頑張らなくても大丈夫だよ・・・』『頭さん。今まで、よく頑張ってきてくれてありがとう・・・・』
『これからは、体さんが感じていることにも耳を傾けて行こう・・・』『頭さんだけの我慢ではなくて、今悲しいなら悲しいよ・・・辛いよ・・・助けてよ・・・って、素直に感じていることに気づいて、しっかりと意識を向けて行こう・・・』
どんなにネガテイブなことだって、真っ正面からとことん感じ切れれば自然に変容していくのです。「隠極まって陽となる」という宇宙の原理が自然に働いておのずから道が拓かれてくるのです。
これは、頭でこうした方が良いという固定的な考えではなく、心と身体が一番自然で心地よい方向へと無理なく誘われていくことです。自分の体の感覚にすっと委ねていけばいいだけのことです。
そうだ!幼い時の状況判断は目の前で見聞きしたことをそのまま心に焼き付けた固定的なものであって、今の自分には不必要なものになっている。この先この気持ちを固守する必要はない!
パッと目が覚めました。
理論では無理が生じてしまいますが、心地の良い状況というのは、本人の魂が要求している方向ですから、魂は満足して鎮まっています。心から落ち着いている状態です。どこにも無理がなく、“身体の自然”が“心の自然”となって気持ちを自由に解き放してくれている状態です。
なんと、目覚める前の私は、長いこと頭の頑張りの支配下にあって、これ以上は無理と言っているのに、まだ頑張ろうと一生懸命になっていたのです。あろうことか・・・ここを、私の良さだと勘違いしていたのです・・・・・・
もしかして、緑内障も頑張り好きが高じての結果なのかもしれませんね。
これからは、ひたすら頑張るのではなく、身体感覚として、辛さや困難をしっかりと感じ切って・・・今の私の心に似合う心の服を新調して、さらりと着替えをしていきましょう。