マインドフルネス・セラピー ぬくもり

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2024.08.17
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罪悪感の下のかすかな違和感・・・

これは私の40年も前の体験です。不完全燃焼感にフォーカスして、無意識の中の「いのち」から大事なメッセージを受け取りました。

 

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その日は、台風が上陸すると分かっていたのに、私主催の会合があったので、無理して出かけました。

 

その台風は予報以上に速度が早く、あっという間に電車が停まって、家に着いたのは夜遅くなっていました。

 

携帯のない時代でしたから、家への連絡もままならず、家族へ多大な心配と迷惑をかけたことは確かでした。

 

心身ともに憔悴しきって、やっと帰宅したのに、なんと内側からロックがかかっていて、家に入る事ができませんでした。

 

私の浅はかな行動から、家族に迷惑をかけたことは事実でしたから、締め出されても仕方ない・・・と、この事は長いあいだ罪悪感の下に押し込めていました。しかし、罪悪感の下にスッキリしない思いがあると感じていたので、最近その違和感にフォーカスしてみました。

 

私の「いのち」は『罰を与えられなくても、自分の浅はかな行動に対して、間違っていたと気付くことができる。反省もできる。きちんと詫びることもできる。同じ間違いをしないよう対策もできる。』『私は、罰を与えなければ分からない人間ではない!』と、締め出しという罰を受けたことに対して、怒っていたのです。

 

そればかりか、勝手に自分で罪悪感を大きくして、負の体験を通して心を深めていくチャンスを、自ら押しつぶしていることに、「いのち」は何より腹を立てていたのです。

 

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間違いや失敗をしない人間はいません。時には近視眼的になって、浅はかな行動をしてしまうこともあります。そういう時こそ、気づきを得る絶好のチャンスなのです。罰を受けたり、注意されるのではなく、淡々と温かく受け入れられることで、素直に自分と向き合って、内面から湧き出す思いを持って、己の非を改めていけるのが、人間の一番人間らしいところではありませんか!!

 

失敗や過ちなどの負の体験は、何より自分が痛い思いや苦しい思いを味わっているのですから、それ以上に他者から、ここぞとばかりに言われる必要は何もないのです。

 

それどころか、私たちは負の体験を通して、大切な事を学び成長できるように、生まれついているのです。本能として備わっているこの「生きる力」を軽視したくはないのです。

 

そればかりではありません。これは人間が持ち合わせている大切な“誇り”の領域です。この誇り高い心の部分を罰せられたり辱められたりしたら、一気に心がしぼんでしまいます。

 

いわゆる正論と言われるものは、一見まことしやかなふりをしていますが、この一番デリケートな部分にダメージを与える偽物でしかありません。正論の正体を私たちはキチンと知らないといけません。

 

その人がその人らしく生きて行くには、デリケートな心の部分を温かく受け入れてもらえる体験が、何にも増して重要なのです。受け入れられさえすれば、あとは、私たちに宿っている内なる尊きものが自然に働き出すのです。

 

これは心の領域であり、知識や理論には決して手の届かない、感覚的なはたらきなのです。

 

この感覚が人間関係のエッセンスであって、親がこの受容の気持ちを持って接していけば、子供は自分の人生を豊かにしていく基本が育つし、夫婦にとっては、互いを尊重し合って良い関係を築いていく土台の部分になっていくのです。

 

正論を全面に押し出してしまうと、この何より大事な人間の基盤の感覚が鈍くなってしまうのです。

 

間違いや失敗を含む、その人の負の部分を大らかに受け入れて行くことは、世間一般の常識や道徳的、教育的観点とは全く違うのです。

 

手塚郁恵先生から直々に手渡された、マインドフルネス・セラピーの真髄は、まさにここのおおらかな受容の部分なのです。

 

さあ今こそ、自分では気づいていない心の萎縮に光を当て、本来のたくましくも誇り高い自分自身を取り戻して、罪悪感に潰されない人生を楽しもうではありませんか。

 

セラピスト 福田京子

 

 

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