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最近、面白いと感じていること
ある日『長年当たり前のようにやっていることを、思い切ってやめてみるのはどう?』と娘から提案され『えっ?』と、戸惑った。
『例えば、朝食のスタイルを、ご飯と味噌汁、漬物、納豆、卵、海苔、しゃけや小魚など。いくら好きだとはいえ、何十年も変わり映えしないものを食べていることもないんじゃないの・・・』
『うーむ・・・』気に入っているのだから・・・やめるなんて・・・と、抵抗心が出て頭がギシギシときしんでくる。祖母の代からの自慢のヌカ床だってあるのに、その漬物をあえて食べない日を作るの・・・
誰にでも、いつの間にか何となくできている習慣があって、それに疑問も持たず、これが一番落ち着くと漫然と続けているものが食生活以外にも沢山ある。
88歳になる夫は、判で押したように決まったことを繰り返すことが好きだ。決めた時間に起きることから始まって、食事の時間は当然定時。食事内容も定番。更に、自分で作った決まりをきちんと守ることを大事にしている。基準値みたいな人だ。
こういう人と50年以上、生活を共にしている私は定番があまり好きではない。ルールというのは、一定の安心をもたらしてくれるので必要不可欠ではあるが、ワクワク感がない。
こう思うのは、既製品の安心だけでなく、自分の身の丈にあったオーダーメイドの安心感を身体感覚として感じているからだと思う。
もちろん困りごとが好きなわけではない。が、困った中から活路を見出していく醍醐味の方が、鮮度があって何十倍も楽しい。規格品の安心や、便利は大切なことだが、そこに安住してしまうと「いのち」の輝きが鈍ってしまう気がする。この心の鈍化が悩みや心配という気持ちを生み、自分を縛り、他の人をも窮屈にしてしまうのだと思う。
そういうわけで、娘からの奇抜な提案は一瞬ショックは受けるが『そうだね。』『どんなもんだが・・・試してみよう・・・』と、積極的に取り入れている。
この試みは、私の固定概念をぶち壊すのにとても役立っている。この気付け薬みたいな刺激が私の心を揺さぶってくれて楽しい。
定番好きの夫にとっては、今度はなんだ?と迷惑そうだが、それでも挑戦している。このしぶしぶ感がなんともユーモラスで可愛らしい。
昨日は、電車から降りるときに偶然見た自分の手が、パーンと若返って見えた。あまりに嬉しくて、降りるのを忘れてじっと見入ってしまった。ただそれだけのことだけれど、この嬉しさがしばらく続いて、歩きながら目に入ってくる光景が、みんな美しく見えて嬉しかった。見慣れたなんの変哲もない風景なのに、新鮮で瑞々しく心がウキウキとした。
いつも当たり前にやっていることをちょっとやめて、やったことのないことをやってみる。ただそれだけで、頭のしばりから解放され心が自由になる。もっともらしい理屈や脈絡がスッと消え、子供のような自由さが蘇ってくる。とても楽しいことだ。