マインドフルネス・セラピー ぬくもり

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2024.04.06
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受け入れて生きる

 

目の前に起きていることに対して、私たちは日々どれだけ感じとっているでしょうか?

 

朝起きて寝るまでの出来事に対して、ほとんどのことを自分の中の自動装置から発せられている情報にもとずいて、習慣的に行動しているにすぎないのではないでしょうか。

 

目の前に自分の意に沿わないことが起きれば、いち早くそれを回避する方向に反射的に行動し、気に入っていることならいつも通りに同じ感覚でよかったと思い、ワクワクや感動することもなく過ごし、スマホやテレビの情報を鵜呑みにしている気がしてなりません。

 

この状態では、『生きている!』っていう実感、感動というものを味わうことができない・・・自分が本当によろこびを持って生きて居る感じがしない・・・

 

せっかくこの世にこの身体を持って生まれているのに、感じていることに耳を傾けることもなく、感じているつもりでやり過ごしているのは、どこにでもある既製品みたいではありませんか。世界にたった一人しかいない私なのに、この状態のままでは何とも勿体無いことだと思っています。

 

ちょっと立ち止まって感覚を研ぎ澄ませてみると、私たちは実にいろいろ繊細に感じています。

 

確かに、気持ちいいと感じたと思った次の瞬間には不愉快さがよぎったりもします。常に変化し続けているのですから、どんなに気に入ったからといってもその状態をキープし続けることはできません。

 

森羅万象全てのことは刻々と移り変わって行くのです。これは宇宙の大原則ですから。宇宙の住人である以上これを承知の上で生まれてきています。生まれることも死ぬことも、この変化の一環です・・・

 

どんなに見事で美しい花でも、時が来れば、散って行くのです。

 

事実としてあるのは刻々と変わって行くという現象だけです。この事実には善も悪もありません。幸も不幸もありません。

 

事実を事実とのみ、淡々と受け入れて行く。受け入れるということは、瞬間瞬間の変化を身を以て深く感じることなのだ。と、最近やっと分かってきました。実感として・・・

 

きちんと感じていれば、頭からの余分な思いに左右されなくて済むのです。感じるということは、身体の今の事実なので、常に一番新しく、生きているという実感そのものです。

 

身体と頭は役割が異なります。頭は感じるころではなくて、頭はもっぱら過去の体験にもとずいて、辛い思いや困りごとや自分にとって不都合があると思えば、それに巻き込まれないように対策しようとします。また、栄光体験があるとしたら、それらを手放したくないと固執し、ずっとそれだけを見続けていたいと思って、今の自分の現実からは遠ざかろうとするでしょう。

 

頭に入力されているデータが古いままでは、刻々と変化している今にフィットした生き方はできません。いくら考えても、足掻いても頭のデータが古いままでは「今を生きる」ことができないのです。

 

では頭のデータを新しく書き換えるにはどうしたら良いでしょうか。それは、今感じている事実をきちんと意識化することです。

 

例えば、辛い感情がよぎった時、その辛さに「いやだ!」「こわい!」という感情をくっ付けて即座に放り出さないことです。手放さないで、じっと辛さにとどまるだけでいいのです。

 

雨の日には雨の中に。風の日には風を感じていればいいのです。ただそれだけ・・・

 

ただし、この辛さが強烈な体験と結びついている場合は一人では無理です。辛い体験の中を生き延びる「いのち」の知恵の一つとして、自分にとって嫌なことは感じないように意識の外に追いやっているからです。

 

自分は何の問題もないと思っているのは、おそらく感じることを遠ざけているからでしょう。

 

こういう状態では、自分の古いデータを今の新しいものに変えることはできません。

 

今自分は、こんなにショックを受け、身体はこんなに緊張しているのだと頭がきちんと認識できれば、即座に呼吸が深くなって身体の緊張が徐々にほどけてきます。

 

呼吸が楽になった状態は、頭と身体が一つに繋がっている状態です。この状態のままで居られれば、宇宙の原理が働き始め、やがて新たな感覚が生まれ出てきます。

 

この一連の流れはセラピーの流れでもあります。そして自分の今であり、生きている実感そのものということになります。

 

しかし、ほとんどの方は、頭の古いデータから出てくる習慣的な思考のまま、日々を送っているということに気づいていません。感じていないという事実に気づいていません。

 

そういう私も、まだまだ沢山習慣的な思考を繰り返しておりますが、自分の中にネガティヴな感情が出てきたときは、他人のせいにして解決しないで、自分のネガティヴに意識を向けて自分に向き合っていくようにしています。

 

そうすることで、古いデータである思い込みの縛りから解放され、気持ちが楽になって、生きていることに悦びが生まれてきます。気持ちが自由になります。

 

同じ感情や怒りが繰り返し沸き起こってくる時は、身体と頭とが食い違いを起こしていると捉え、ネガティブな感覚を追い出さないでそこにとどまって見てください。自分を不快にさせている感情の下にあるものが長い間の思い込みであることに気づけると、もう手放そうと思えることが沢山あります。

 

これは自分にとっては誰が何と言おうと、好きなものだった。気持ちが楽しくなって元気が出てくるという確信が生まれてくることもあります。これが自覚できれば、他人の言動に左右されず堂々と明るくして居られます。

 

自分を窮屈にしていた想いから解放され、自分を偽って良く見せようとしなくなれば、生きて居ることが限りなく楽しくなってきます。

 

受け入れる、受容するということは、目の前に起きていることを、身体の感覚に落とし込んでじっくりと感じることです。

 

これは簡単な「わかった」ではないのです。簡単な「わかった」は、頭で自分自身を軽くあしらっているだけで、身を以て感じていません。その場しのぎのふりだけであって、自分を偽って居る行為にすぎません。

 

感じているつもりと、身体の中心で感じ切るのとは大きく違うのです。

 

この違いが人生の質に深く関わってくるのであって、何かを所有しているとか、いないとか人と優劣を競うことではなく、自分自身に正直に生きていけばいいだけなのですね。

 

 

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