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「いのち」の声を聴く
自分の中に全く違う人がいるみたいに、頭で思うことと、体の感覚から出てくるものとは違います。
普段の生活では、たえず頭で考え、行動していますから、頭の声が非常に大きくなっています。これが自分なのだと思っていますが、実際には、人間の本質に根ざしたもう一人の自分が心の奥に居るのです。
現代の私たちは、目が覚めた瞬間から、今日はこれしてあれして・・・あそこにいって・・・と、過密なスケジュールを、次々とこなしていくことが健康で充実した日々だと思っているでしょう。しかし、本当にそうなのでしょうか?
心の奥というのは、体の感覚で、意識の届かない無意識の領域のことです。無意識の領域なんて日々の生活に関係ないと思っておられるでしょうが、実は大いに関係していて、人生は、この無意識に左右されていると言っても過言ではありません。
無意識の中の「いのち」の声は、微かなものですから、頭の働きをお休みさせて、注意深く体に注意を向けていかない限り、聴くことはできません。
別な言い方をするなら、自分を責めたり、後悔したり、正論や一般常識の声は大きいのですが、責められている体の声は、ほとんど聞こえてこないということです。
実は、過日新幹線の車中で、私のうっかりミスで、人に迷惑をかけてしまいました。こういう時、私の頭からは『いつも注意力が散漫だから・・・』『もっと慎重にならないとダメだ・・・』『反省が足りない・・・』と、自分を戒める声が強くなりました。この声をまともに聞いていたら、一気に元気がなくなり、自分を見失うと直感しました。
自分をいさめる車中の出来事というのは、私がちょっと気を許した隙に小型のキャスター付きのスーツケースが音もなく滑り出し、中央の通路を越して窓際の座席に座っている人のところまで一気に走って行ってしまった事です。急な出来事で、相手の方をびっくりさせ、迷惑をかけてしまったことは事実です。素早くその方のところに行って、きちんと丁寧にお詫びをしました。
怪我を負わせたわけではなかったのですが、50歳代の男性は、即座に『何やってんだよ!』『危ないいじゃないか!』『気をつけろ!』『まったく・・・・』と非常に大きな声で激しく私を叱責しました。
私は一瞬戸惑いました。が、相手の言葉をこれ以上聞いていたら自分を見失うと感じたので、深い呼吸をしながら、お腹の中のもう一人の自分と対話をすることにしました。
お腹の声は『確かにミスをしたが、大声で怒鳴られるほどのことではない。』『大声で言われなくても、いまの状況はきちんと把握している』と毅然としているのです。それなら慌てないで、その場に黙って立っていよう・・・という気が自然にしてきたので、静かにその場に立っていました。時間にしたら1分〜2分ぐらいかもしれません。が、この間に胸の鼓動は治まり、その場の状況を俯瞰することができました。その後、ゆっくりと一礼してから自分の席に戻りました。
目の前のミスだけを取り上げて、一方的に大声で怒鳴るのは、対等な人間関係を一気に壊そうとしている行為です。その手に乗ってしまったら、瞬時に加害者と被害者を作り出し、双方が、無益なエネルギーを使うことになるだけです。
なぜなら、その根っこにあるものは怖さや不安に根ざしている感情だからです。声高に威張っている方が正し気持ちになっても、これは錯覚でしかありません。
恐怖や不安に根ざした気持ちからは、不安きり生まれてきませんから、とっさの時こそ深い呼吸をしながら、相手の剣幕に呑みこまれないで、マイペースでその場を俯瞰することができれば、今ここで何をどうすればいいのかが感じられてきます。
どんなに注意深くしていても、突然不足の事態が起こるのは日常的には良くあることです。注意深い人は、遭遇する確率が低いかもしれませんが、どんなに慎重にしていても、これは避け難いものです。これを自分の不注意だとか、運の悪さだけで片付けてしまうのはもったいないことです。
こういう時こそ、自分の「いのち」と向きあえる絶好のチャンスなのです。「いのち」は、即座に自分の内側から、自分を助けてくれる頼もしい味方なのです。
無意識の中には、自分を厳しく追い込んでくる自分も居れば、優しく包み込んで智恵を授けてくれる救世主の自分も宿って居るのです。
仕事は理性や知性、情報などに頼って合理的にやらなければなりません。しかし人間は人間らしい感覚や感情を持った生き物です。客観的で合理性だけでは安心して生きられないようにできています。
理性や知性に偏りすぎると、感性が成長しません。感性が鈍ってしまうと無意識の「いのち」の声をキャッチするのが難しくなってしまいます。
だからこそ、現代に生きる私たちは、頭の働きを少し休ませて、感覚を目覚めさせるようなことを意識的にしていく必要があるのです。無意識の中の自分を一番よく知って居る「いのち」の存在を実感し、その微かな声に耳を傾けようとすることは、自分を心から大切にして居ることだと思います。
今回の出来事は、瞬時にその場の状況を俯瞰して見られたことで、私の心の中に恐怖や不安を残さないですみました。同時に、「いのち」の奥深さ、頼もしさ、知恵の確かさ、優しさ・・・そして尊さを実感することができ、自分を一段と愛おしく思うことができました。
ありがとうございました。合掌。
セラピスト 福田京子