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苦楽を共にしたいんだ!!
先日孫の運動会の応援に行こうと楽しみにしていたのですが、天気がぐずついていて実施するかどうかはその日の朝6時に学校からの連絡待ち、という事態に遭遇しました。
なんとも悩ましい状態で、私は2、3日前から天気予報と首っ引き。何遍見ても、雨マークばっかりでほとほと困り果てていました。
早々に諦めて行かないことにすれば悩むことはなかったでしょうが、今回はどういうわけだか応援に行きたくていっぱい気を揉みました。
息子の家族はそんな私の気持ちをさりげなく汲んでくれ、当日の朝の学校連絡がきたら知らせるよと言ってくれたので、一晩孫と共に気を揉みながら浅い眠りの夜を過ごしました。
朝5時半「雨天のため本日の運動会は実施しません。」というお知らせを受け取り『この天気じゃ仕方ない!』ときっぱり諦めがつきました。同時に、清々しく澄み切った気持ちがあることに気がつきました。
私は孫の家族とともに、あれこれ真剣に悩み抜いたことに喜びを感じていたようです。運動会を見たと同じくらいこの連帯感を味わえたことで満足を覚えたのです。このなんとも言えない充足感は、意外でした。
人の心は摩訶不思議。楽しいことだけが嬉しいのではなく、今回のように共に苦しんだり辛さを共有することも、共に味わうということで感じあえる連帯感が人間の存在に響いてくるのです。これは仲間と一緒にいるという、絶対的な安心感なのでしょう。
現代人の風潮として、迷惑になるからとネガティブなことにはあまり関わらない方がスマートで良いことのように思っている人が多いのですが、それではお互いの関係性は深まりません。表面的な関係だけです。なんとも言えない孤独感があると訴える人が多いのは、こういうところに関係しているのだと思います。
お互いに面倒を掛け合う。これこそお互いの間に信頼感がある証でしょう。魂同士が素の触れ合いをするからこそ愛着が生まれ育まれて行くのです。
頭で「面倒そうだ」と思っていることでも、実はお腹では楽しいことに変化してくるのです。協力しあえれば楽しさが増してきて、思ってもいない発展になってくるのです。これは実際に体験しなければ全くわかりません。
現代は頭でのやり取りに終始しているので、人間関係がきれいごとになっています。綺麗事で済まさずに、ともに泥だらけになってその先に感じられるもの、ともに白い歯を出して笑いあえるものがあることを伝えたいと思っています。
体の奥の方から湧き上がってくる何とも言えない感覚は言葉にするのは難しいのですが、ともに感じ合うだけで十分満たされるものがあります。日常のこういう些細な出来事の中に、言葉にすれば、対等な人間関係とか、相手への思いやり、優しさが隠れているのだと実感しました。
セラピスト 福田京子