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勘違い
「勘違い」を辞書で引いてみますと、間違って思い込む、類語としては誤解、心得違い、混同、本末転倒、、、というのが出てきます。
実は心のことに関わって今感じていることは、私たちは子育てばかりでなく見えないものに対して、日常的に色々と勘違をしているということです。
では、何をどう勘違いしているのでしょう。
子育てに関していえば、大多数の親は子供を世間から笑われないように育てなければならない・・・・できれば世間に自慢できるような子育てをしたい・・・と思っていることです。
そして目の前の子供の存在よりも、高学歴をつけることや他人の目を気にして世間の評価に重きをおいた関わりを愛情だと思っているところです。つまり子供の気持ちや特性にはあまり関心がなく、子供の立場に立った視点が抜け落ちているところです。
しかし子供は親たちの所有物ではありません。親とは違う別の内面性を持った独立した存在です。
何を大事にするのかといえば、人間は一人として同じではなくそれぞれ感じていることが違う、できることもできないことも違う、好きなことも嫌いなものも全然違うのだという、その違いが何より大事だという感覚です。
あなたはどこかで人と違うことはいけないと思っていませんか?
この何となく感じている、人と違っていてはいけない・・・という感覚が
不安を生み出していると思うのです。
個々人の違いを大事に認め合うということは一人一人の存在を際立たせるものであり、一人一人の存在を尊重し合うにはこの違っている所に世間一般の善悪の価値観をくっつけないということです。
ところが実際は弱くてはいけない。泣くことはいけない。わがままを言ってはいけない。好き嫌いをしてはいけない。他人に迷惑をかけてはいけない・・・など。子供の不得意なところや苦手な部分を認めないばかりか、訂正しようとする行為を愛情だと勘違いしているのです。
子育てとは躾をすることではありません。
人間の子供は他の動物とは違います。礼儀や行儀、知識や処世術を教える前に、肌感覚として伝える大事なことがあります。
それは『あなたは、掛け替えのない大事な存在である』『あなたがただ居るだけで、みんなを幸せにしている』『何かができるとかできないであなたの存在価値が変わることはない』・・・『あなたが生まれて来たことを心から歓迎している』『生まれて来てくれてありがとう』『泣いても笑っても何をしても丸ごと大事大事・・・』という、全ての人間はみんな大切な存在なのだというメッセージです。
誰にとっても自分の存在が受け入れられている、喜ばれていると感じられることほど嬉しいことはありません。
幼児期にこの愛着の絆が結ばれ安心感をたっぷり感じられていれば、その後の人生においていろんな困難に遭遇しても自分を信じて健気に生き抜いていけるのです。つまり、受容するという人生の大切な部分が育ってくるのです。
子供は自分の存在が無視され、世間体が一番大事だと育てられれば、どう生きたら良いのか不安になって悩むでしょう。親からの八つ当たりで幼児期に存在が軽ろんじられたり否定されれば、不都合が起きるたびに自分が悪いからだと自分で自分を責めて落胆しても不思議ではありません。
子は何にも悪くないのに・・・こういう状態は何ともやりきれません。
今こそ親世代の人々が真摯に自分の心と向き合って若い世代の人が本当の気持ちを言えないで自分を後回しにしていないだろうか?・・・心身の不調の元を作っていないだろうか?・・・と、ちょっと立ち止まって振り返って見る時ではないかと思っています。
実は、そう言う私もたくさんの勘違いをしたまま生きている一人です。良妻賢母教育の片鱗により無自覚に子供達の心を窮屈にしてきたことに気づき愕然としました。
今こうして愛着の絆に関わっているのは、愛情を勘違いした親の元で育ち、心身が窮屈になっていたり、子育てに自信を失っておられる方々の、心のお手伝いをしたいと思っているからです。