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2023.03.26
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いっときの安心には・・・
困ってどうしていいかわからない時、とりあえず「いっとき」の安心を求めたくなるものです。誰だって・・・
いったい、この「いっときの安心」とは何なのでしょう?
1歳や2歳の子どもでも、安心のない環境に生まれれば、安心を得るためにはどうしたらいいのかを、身近な人を手本にしたりして、身につけていきます。
自己主張は許されないと感じ取れば、人のいいなりになっているのが良いらしいと学ぶでしょうし、子どもは大人の価値観を鵜呑みにするしかないと思えば、自分をその人の価値観と同じにしていくでしょう。
例えば、好き嫌いをしてはいけない。人に迷惑をかけてはいけない。世間体を大事にしなければいけない等々、厳しく言われれば、それを守って大人の機嫌を損ねないように育ちます。これは大人になるまでの「いっときの安心」であった筈でも、10年以上慣れ親しんでいるうちに「いっとき」のものではなくなって、「思い込み」となって生涯にわたって自分を窮屈に縛ってしまうものになります。
もしもあなたが他人の目が気になったり、自分の気持ちを後回しにして本当のことが言えないとか、私のせいで申し訳ない・・・と、何と無く自分を責めているとしたら、「いっときの安心」の縛りが隠れているかもしれません。
今の自分にはもう必要がないものなのに、手放せないこの「思い込み」は本来の自分の価値観ではないのです。
というわけで、私は「いっときの安心」というものに、感覚的に不安を感じます。お手軽なもの、安直なものにはマヤカシが隠れしている・・・用心しないと足をすくわれるな・・・という、直感を大事にしています。
セラピスト 福田京子