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いのちの全体性2
先日、自分の内なる「いのち」に直に触れた感覚を味わうことができ嬉しかったのですが、後日談があります。
先日の電話の件は終わったと思っていたのですが、なんと同じ人から、メールが届き、私がこんなに傷ついていることなど、何にも感じていなかったのだとわかり愕然としました。
『あんまりだよ!』と、うめき声を上げて身をよじって、苦しがっている自分がいました。
翌日、この苦しさは私のパワーだ!生きようとする力だ!
私のこの「生きようとする力」を、相手への憎しみのために使いたくない!
嫌な感情と、生きるエネルギーは、別々に分けることができる!
エネルギーはまっさらなものだ!
喜怒哀楽の感情とこのエネルガーがくっついて、喜びにも怒りにもなるのだ・・
このエネルギーを私は、自分がより自分らしく生きていくためにつかいたい・・・
“待つ力”“寄り添い続ける力”“相手の人の生きる力を信じ、感じ続ける力”
“好きなことに打ち込む力”“自分を信じる力”として・・・使いたい。
しかし、時には、大いに悲しみ、嘆き怒ることもあるだろう。みんな同じエネルギーが、形を変え、その時の自分の正直な姿で表現されているのだと思えてきた。
ただ怒りの感情とエネルギーが一つになっている時に、これを他者に向けてはならないということだ!
なぜなら、怒りの感情をくっつけたまま他者にこのエネルギーを直接ぶつけてしまったら、他者の心を打ちのめしてしまうからだ。「いのち」は、この方向は望んでいない。この方向でエネルギーを使うのは、いっ時の憂さ晴らしに過ぎないからだ。
感情とパワーを別に扱えるには、腹の力がないとできない。腹を養い育てていくワークを何度も積み重ねていく必要がある。これは修行だから・・・
感情とエネルギーの間が別れるという感覚の気づきは、とっても大きかった。
セラピスト 福田京子