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「いのち」の全体性
人間の行動は、愛か不安に根ざしている。
不安は ちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、
萎え、傷つけるエネルギーである。
愛は 広がり、解放し、送り出し、とどまり、明るみに
出し、分け合い、癒すエネルギーである
ニール・ドナルド・ウオッシュ著 「神との対話」から
私は20数年前にこの「神との対話」の本を読み、感動した言葉を、いくつか書き留めていました。先日偶然にそのメモが目に入り、「本当にそうだなあ〜」と、実感したのです。
当時の私は、まだ本格的に心のことを学んでおりませんでしたが、心の持ち方については興味を持っておりましたから、この本との出会いは感動的でした。あの時は、頭の理解としてではありましたが、今回は、この言葉が、実感を伴って感じられたのです。
私のワークから
ある人からの突然の電話で、気持ちがぐしゃっと潰れている自分と遭遇しました。ズーンと胸が痛みだし、話しているのが辛いほどでした。そこで、4年前の出来事に向き合いました。
目の前が真っ暗。胸に鉄の大玉が当たったような破壊的な痛み・・・
しばらく感じ続けていたら、体の奥の方から力強くてどことなく優しい感じがしてきました・・・この優しいものはやがて真っ黒な私の胸の痛みを包み込んでくれてました・・・この不思議な感覚ってなんだろう?
『この感覚は・・・もしかして・・・私のいのちそのものかも・・・』
体の奥深いところから静かに湧いているような、この力こそ、私を生かしてくれている力に違いない。今まさに直に触れている感じがする・・・
以前から、私の内に在る「いのち」と対話をしてきたが、こうして直に触れていると、じんわりと自然に涙が滲んでくる・・・
よっぽどの出来事には遭遇したくはないけれど、そういうことに出会ったからこそ、こんなにも優しい「いのち」の働きに触れることができた・・・
4年前の辛い体験は、何度も何度もワークをして、今回やっと、自分のうちに備わっている「いのち」の優しさに直に触れることで、その悔しさや悲しさから脱出することができた・・・
辛かった分だけ今の歓びも一入なものがあります。嫌なことを遠ざけるのではなく。自分の身に近ずけて感じつくすことによって、予期しない境地にいざなわれていくものだと実感しました。
不安を無くそうとするより、辛さにめげないで感じ続けていくことで、自分の身体の奥から、それを優しく包み込んで癒してくれる、大きな愛が湧き上がってくるものなのです。
セラピスト 福田京子