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幸せって何? 〜車に道を譲って〜
ロシアとウクライナとの戦争が始まってから4ヶ月あまり、未だ戦禍は拡大する一方。新型コロナだって、終わりが見えないし、社会現象も、気象現象も、不測のことが連続して起きている昨今です。
こんな時代だからこそ、「生きるって何なのだろう?」「幸せってなに?」って、自分に問いを発して行くことが必要なのだと思います。
私は日々、クライアントさんの苦しい気持ちと向き合っております。ほとんどの方が、地道に自分の人生を振り返っては、その当時感じていた本当の気持ちに気づいたり、無意識の中にあった「思い込み」や「トラウマ」を一つずつ手放して行かれます。ほとんどの方が、年単位で続け、しみじみと自分の心の成長を実感しておられます。
とても地味な作業ですが双方に感動があります。それはあたかもお能の舞台のようです。傷ついたままになっている魂が、丁寧に鎮められ浄化されている感じがするのです。この真摯なひたむきな姿勢に目頭が熱くなり、心から頭が下がります。
これは私ごとですが、ある日、鎌倉の山陰の狭い道を、いつものように歩いている時のことです。
車が来れば、道の端に寄って車に道を譲る、ごくごく日常の当たり前の動作を繰り返しながら、その時は、両側の家の庭に咲く色とりどりのあじさいの花に見とれ、なんてきれいなんだろうと、しばし足を止めて眺めたり、空を見上げたりしながらゆっくりと歩いていました。古い寺の大きな木々の緑も一段と濃くなっていて、ウグイスもよく鳴いています。
ふと、後ろから車が来ている気配がしたので、道を譲った瞬間に、ふわ〜っと何とも言えない嬉しい気持ちに満たされ、一瞬世界が変わった感じがしました。たったこれだけの話なのです。が、胸のあたりがポット温かくなったその温もりは、今でも心の奥にあります。
何がそんなに嬉しかったのだろうと、胸に手を当てて感じてみましたところ、習慣だから、暗黙の決まりだからではなく、自発的に喜びをもって道を譲っている私のことを、ただただ嬉しいと感じたということです。
『それが何なの?』って一笑に付されてしまうくらい、たわいの無い話なのですが・・・
これが、私の心の底からの幸せの瞬間だった・・・と感じているのです。
現代は、譲ることより、得られた時の方が、幸せ感が高いかもしれません。が、これは時代の風潮であって、本来は、譲られることで得られるし、得られることで譲れるという、その両方に喜びがあるということではないでしょうか。
今の私の感覚は、得るよりも、お互いに無理なく提供し合えることが、心地よいと感じています。穏やかで豊かな気持ちになれる感じがするのです。足りない足りない・・・もっと欲しい・・・ではないのです。
お互いに、本当に必要なものを大事にして、譲り合い、惜しみなく協力し合う関係が嬉しいと感じているのです。
幸せは、外側から取り入れるものではなく、自分の内面から湧き出てくる温もりの感覚なのだと実感しています。目には見えないもの、それはお金では決して買えないもの。
自分の「いのち」が喜ぶ感覚、これが今の私の「幸せ感」です。
セラピスト 福田京子