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いらだち (その1)
先日、親しい友人Aと話をしていたら、Aは急に顔を曇らせて、実は『心を許している人なのだが、最近、私をないがしろにするような行動をしてくるので、非常に気分が悪い』と話しだしました。
私は、ゆっくりとAの話に耳を傾けました。
最初は、遠慮がちに、こんな人とは思わなかった、と相手の落ち度をせめる感じで話をしていました。が、Aは別の人のことで非常に腹を立てていたのです。
Aにとっての腹立たしさは、自分の存在に泥水をかけるような、平然と馬鹿にしてくるような、存在を無視してくる失礼な扱いに対して、非常に気分を害していたのです。
自分の存在を汚される言動に出会えば、誰だって憤慨します。
私はAの腹立ちに共感しました。
Aは、自分の存在を軽視されたことに対して怒っているのだ、とワケがわかって、気持ちがすっきりと整理されました。
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「怒り」には触発源になる出来事があります。Aにとっては、心を許している人の相次ぐ落ち度です。しかし、Aの本当のイライラはこのことではなかったのです。
「怒り」には触発源の下に発生源があります。Aは、別の人から、存在をひどく汚されて憤慨していたのです。『自分は、こんなに粗末に扱われる人間ではない!
上から目線で偉そうなことを一方的に言われたくない!』と、Aの無意識の中の「いのち」が腹を立てていたのです。
つまり、自分の外側にある“怒りの触発源”ではなくて、自分の内面にある”怒りの発生源“にたどり着いたのです。
Aは自分の尊厳を取り戻したことで、最初のイライラモヤモヤがすっきりと解消していったのでした。
「怒り」を発生源のところで感じられてくると、相手を責めるのではなく、自分が一番大切にしているものが、明確に感じられて爽快になってきます。
「怒り」を悪い感情だから無くそうとか、感じない方向に持っていくのは危険です。抑圧したものは、ものすごい勢いで爆発します。
どうぞ「怒り」を善悪の感情で捉え、抑え込まないでください。
とことん感じ切って、新しい自分に出会って行けば、自分への「素敵な気づき」になっていきます。
セラピスト 福田京子