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意識と体の対話
あなたは、新型コロナやワクチン接種と、どう向き合っていますか?
ワクチンについては、人によって見解が分かれています。自分はどこに基準をおいて、判断しようとしているか、とても大事なことだと思います。
有名な医者が薦めるから、多くの人がうっているから、うたないと白い目で見られそうだから・・・・という他人軸で決めようとしていませんか?
私は、普段から医者にはほとんどかかっていないので、予防注射も何年も受けていません。今回はどうしようかと、真剣に取り組みました。自分の体と対話して決めようと思い、丹念に時間をかけて体と対話をしました。そして、今回は受けると決め、すでに2回の接種を終えました。
モデルナ製、2回目の摂取を受けた後の経過を通して、体との対話は一段と深まりました。以下は、私と私の体との対話風景です。体の言葉は◯◯◯と言っているような感じがするというようなものです。本当の声が聞こえるのとは違います。
熱の出始めが感じられたので、体温計を枕元において横になり、早速体に声をかけました。
京『体さん、これから発熱ですね。了解です』『いま37度5分』
体『はい。これから行きますよ・・・』と言っているような感じ。
京『カッカと体全体が熱くなってきました・・・』
『検温しますね。38度3分』
『体さん、頑張ってますね。まるで機関車のように蒸気をあげて、全力で
働いてくれているのが伝わってきますよ・・・』
『私、応援しています』
『頑張ってね〜』
『体さんが何をどうやっているのか具体的にはわからないけれど、身体さんの仕事を全面的に信頼していますよ!』
『どうぞ、存分に働いてください・・・』
(発熱から約3時間半経過)
京:『体さん、今までとはちょっと感じが変わってきましたよ』
体:『そう、仕事が一段落したんだよ』(と言っているような感じで、一瞬にして
体の中が静まった感じがしました)
京:『お疲れ様でした。さっきまでの勢いはすごかったですね。夢中で応援して
いました』
体:『この熱は体にとどめておく必要がないから、身体の外に放出したいよ』
京:『了解。協力します。』(掛けていたタオルを取り、自然に寝返りを繰り返す)
京:『だいぶ楽になってきました。検温します。37度3分』
京:『体さ〜ん、ありがとうございます・・・・』
体:『ありがとうは嬉しいね。その言葉聞いたら、どんどん体が緩むよ・・・』
京:『私は今まで、体さんの働きを、こんなにリアルに感じたことがありません』
『感動しています・・・』
私の体は、この私を全力で守り、惜しみなく働いてくれたんだ・・・という思いが湧き上がってきて、涙がこみ上げてきました。同時に「無償の愛」とはこのことだと直感しました。そして「無償の愛」は自分の体から授けられるのだと実感しました。
発熱から約5時間後、平熱になってから、今度は疲労感がドッとやってきました。とっさに、『あんなに働いてくれたんだから、疲れて当然だなぁ』と、素直に思えました。そこで、体さんが注文しているところに手を当てたり、撫でたりしようと思い、家族の者に頼んで、約1時間ケアしてもらいました。
この時、気持ちよく手当てをしてもらえたことのありがたさに、頭が下がりました。辛い時に、こうやって助けてもらえること、なんてありがたいことだろう。辛い時に、嫌な顔をされたり、文句を言われたりしたら、たちまち人への信頼感が薄らいで、ものすごく寂しくなります。人はみんな、辛い時こそ、気持ちよく辛い気持ちをわかってもらい、優しく寄り添ってもらいたいのです。これはわがままではありません。「いのち」を大切にしてもらう行為です。存在への尊重そのものです。
この体験があるかどうか、つまり、自分の存在を大切にされた体験が、体の記憶としてあるかどうかが、その人の人生にとって、とても大きく影響すると思っています。
こういう生々しい体験がないまま、みんな都合があるから人に迷惑をかけてはいけないと、言う人がおりますが、これは大事なことをすり変えています。この場合、迷惑とは、助けを求めたときに、嫌な顔をしたり、突き放なしてしまうことです。都合を聞いた上で、助けを求めることは、決して迷惑な行為ではありません。
私たちは苦しい時、体からの要求(心の底からの切実な願い)を淡々と受け止めて、要求通りに応えてもらえることが、最高にありがたいのです。体の芯から満たされてくるのです。体が満たされること、これこそが何ものにも代えがたい心の充足感になります。
そして目の前の人が、みるみるうちに心と体が満たせれていくのを感じられるのは、手当てをしている人本人です。いつしか2人の心と体は互いに呼応しあって、気持ちの良い循環が生まれ、なんとも言えない一体感が醸し出されてくるのです。部屋までほんのりと温かくなってきます。
この生々しい体感こそが、人の心にじんわりと響くのです。我がままだの迷惑だのという言葉をはるかに超した、豊かな世界です。
体験しなければ得られないこの生々しい体験を、頭で理解したつもりになるのは傲慢です。体験を通して感じたものは、身体からの率直で真実の言葉そのものです。
今回、淡々と手当てをしてもらって、こんなにありがたかったのだから、反対の時には、私も、今の感謝のきもちで接していこう・・・余分な気持ちを使うのではなく、相手のその時の素の願いに、淡々と応えていくだけでいいのだ・・・・と、しみじみと身にしみました。
ワクチン接種ときっちり向き合ったことで、私は自分の意識と体との距離が近くなったばかりか、身体への信頼感と感謝の気持ちを、以前より深く感じることができました。
セラピスト 福田京子