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「共感的な応答」と「人に合わせる」ことは全く違う
前回、『あのね、ほんとはね』という絵本を紹介しました。ここに一貫として流れているものは、共感です。
私は日々のセラピーで感じるのは、生きにくさは、子供の頃両親との間に、この共感的な応答が得られず、求めれば求めるほど、『どうしてお前は、こうも分からず屋なんだ』とか、『お前が弱いからだ』というレッテルを貼られたり、なにげに『お前が悪い』と言われ続けていると、いつの間にか、自分でも、そう思うようになっているということです。
特に母親との関係で自分を出すと、母親がたちまち機嫌が悪くなる恐ろしい体験があったりすると、母に合わせなければ生きていけませんから、完璧に自分を封印しますね。
こうして、無意識の中に、「自分の感情を出してはいけない」「人に合わせて生きることが良いこと」「自分だけ幸せになってはいけない」「人を頼ってはダメ」etcという考えが生きるベースとなって自分を支配してくるのです。
これは、幼少時に必要があって無意識の中に作った「思い込み」なのですが、成長とともに、いつしかこれが、自分の本当の気持ちだ、自分の特性だ、これが自分自身なのだと、なんの疑いもなく、そう思っているのです。
嘘の自分がいるというよりは、無意識に本来の自分を隠しているのです。思い込みの自分は、本来の自分とは、全然違います。
本来の自分に気づいてみると、思い込みの自分は、いかに自分を厳しく責めてきたのかと、驚くことでしょう。
「思い込み」は、自分の気持ちを否定される体験、存在を大切にされない「怖さや悔しさ」を、感じないようにするために、必要に迫られて作ったものです。つまり、本来の自分を出さないために作っている厳しい自分への掟なのです。
ところが、大人になって、自分への掟の「思い込み」は、もう必要がなくなっているのに、長い間慣れ親しんだ感覚であり、習慣化しているものなので、やめたくてもやめられなくなっているのが現実なのです。
「思い込み」の困るところは、無意識の領域なので、その役割が終った後、今度は自分を縛り苦しめるものになってしまうことです。不安や恐怖の元になっていることの大部分は、みんなこの自分で作った強固な「思い込み」に起因しているといっても過言ではありません。
「怖さ」を感じないために作ったものですから、これを手放そうとすると、過去の怖さの体験が、それを阻止しようとするのも大きな特徴です。
しかし、安心の体験、自分が丸ごと温かく受け入れられる喜びの体験をなんども重ねていくことによって、ごく自然に抵抗なく手放す方向に道が拓けてくるのです。これは紛れもない事実です。
悪いもの扱いをして無理に手放そうとすると、逆効果になってしまいます。
焦らずゆっくりと温泉に入るように、安心の体験に身を浸しましょう。
思い込みの中でも、人生の基盤と同化しているコアの部分を手放していくことは本当に大変なことです。が、自分の気持ちに心から共感をしてもらい、安心の体験を重ねることによって、本来の自分の部分がはっきりしてきますので、外から入ってきた自分以外の価値観や言葉は、ごく自然に離れていきます。
少し勇気を出して、ここをクリアして、本来の自分になって生きてみませんか。
本当に、何物にも替えがたい喜びが、内面から湧き上がってきます。
セラピスト 福田京子