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不安が募る今、私たち日一人一人が出来ること
コロナ緊急事態宣言の中、散歩と食料品の買い物以外は自宅待機という軟禁状況の中、心を細くして日々を生活しています。
しかし人間社会の喧騒はどこ吹く風、木々は緑の葉を繁らせ、ツバメも飛び交っています。朝も来れば夜も来ます。
こういう時だからこそ、落ち着いて、自分の身体の不思議を思い起こす時だと思うのです。私たちは太古の昔からいろんな災禍に直面し、その都度乗り越えて現在まで生き延びてきました。身体は、どんなに劣悪な状況の中でも、ひたすら生き延びようとして、人知を超えた物凄い働きをしているのです。
特に、この100年の文明の進歩は目覚ましく、医療は、神の領域を侵さんばかりの勢いで進歩して来ました。それに比例して、私たちは素晴らしい医療にすっかり依存し、何かあってもSOSさえ出せば、助けてもらえると安心し切って来ました。今回は、そういう人間が構築してきた人間にとって都合の良い安心神話に対して、「これでいいのか?」と、をコロナウイルスから、問いかけられているのではないでしょうか。
落ち着いて感じてみれば、
自分の身体なのに、不調があれば、全て医者頼み。我が身なのに身体は他人扱い。辛い時だけ大騒ぎをして、外に助けを求めるだけ。しかも自分の思うような医療が受けられなければ、どんどん相手を攻める方向に限りなく行ってしまい、周囲はもちろん、みんなが疲弊しきってしまう道を歩んでいた気がします。
今はもう、従来のように、病院に行けばなんとかなるという「依存」状態では、どうにもなりません。余りにも突然に、梯子をはずされたような感じではありますが、嘆いてばかりはいられません。今こそ、自分の身体に、優しい眼差しを注いでませんか。
身体との対話。
これは確かにすぐにはできないかもしれませんが、静かな部屋で、呼吸に意識を向けながら、身体を感じていくうちに養われて来ます。毎日続けていけば、1週間もしないうちに、身体が不安がっているかいないかは、何と無く感じられて来ます。感じられたら、言葉にして言ってみると、身体はちゃんと言葉を理解して反応してくれます。嘘ではありません。
その時、落ち着いていれば、『今落ち着いているね。』と声をかけるのです。不安がっていれば、『不安だね。』と声をかけるのです。ただそれだけでいいのです。不安がっていてはいけないから、落ち着かねばならないなんて思わなくていいのです。
もし、実際に試してみたい方は、はじめに、『不安だね』だけを言って身体がどんな感じになっているか感じて見てください。何にも感じられなくてもOKです。
次に、『不安は良くない。落ち着こう』と言ってみるのです。この言葉を聞いた時、身体はどんな反応をしているでしょうか?
身体との対話で大切なことは、身体の感覚を、そのまま肯定することです。
感じているままを受け入れてもらえれば、身体は本当に、嘘のように楽になり、気持ちもホッとします。身体は、よくても悪くても、あるのは事実だけです。ホッとすれば、身体は自然に元気になり、不安になれば、たちまち生気を失います
まずは今、私たち一人一人ができることは、ほんのちょっとでいいから、坐して自分の身体(内臓)を感じてみることだと思います。
細心の注意を払っていても、いつ自分や家族が感染するかわかりません。そういう時、落ち着いて行動するには、自分を見失わないことです。
目の前の事態を慌てず、目をそらさずに見て、自発的に対処していくしかありません。その覚悟を、養い育てていくことが大切だと思います。手当たり次第にしがみつこうと躍起になる前に、深い呼吸をし、自分の状態を静かに感じてみましょう
私たちの身体には、生き延びようとする強い生命力が宿っています。有史以前から幾多の困難を乗り越えてきた「いのち」の叡智が宿っています。
これは身体が知っているのです。目には見えないけれど、その「いのち」の力に敬意をはらって、冷静に事態を直視していきましょう。
自分の生命力を信じ、委ねていくことで、必ず暗闇の中に道が開かれてくると信じています。
セラピスト 福田 京子