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すねる その3
Cさんが『私、拗ねたことないわ』とシェアしていました。ふと違和感が出たので、『そうなの?』と聞き返してみますとCさんは、『あれっ!?今まで何にも感じていなかったけど、私、「拗ねる」と言う感情を押し込めているかもしれない』と真顔になり『留まって感じてみます』と言うことになりました。
一週間後Cさんは『私は子供時代に、すでに拗ねる感情を無いことにしていました。聞き分けのいい子になっていました。』『今、そのことに気づいたら、とっても悲しいです』とぽろぽろと涙をこぼしながら語り始めました。
『本当は、何にも考えないで、子供らしく感情を表現したかった・・・』『いつも周りの大人の顔色を見て、困らせないようにって気を遣っていた自分が愛おしい・・・』『そういう自分をただただ抱きしめてあげたい・・・』とつぶやいているCさんの言葉は、側にいる者の心にダイレクトに響いてきました。
初めての方も『自分も拗ねるなんて考えたことも無かった。だけど、シェアを聞いていたら、涙が止まらない』『同じものがあるのかも・・・』と。
コメント
激しく癇癪を起こすとか、陰険な嫌がらせをするのでもない「拗ねる」という微妙なこの感情は、とっても繊細です。この繊細さって、なんて愛らしいのでしょう。
現代社会は、合理性や効率性が最優先されるあまり、人間としてのこの可愛らしさをすっかり忘れているかもしれません。しかし、これは老若男女を問わず人間に備わっているもので、私たちは、こういう微妙さを言葉を介さずに感じあうことができる存在です。非常に繊細ですから、ちゃんと意識を向けてもらっていなければ表現できないし、分かってもらえないところです。だから、大切にされていなければ味わう事のできない感覚です。どんなに物質的に満たされたとしても、この微妙な感覚を無視されていたり、粗末にされていたら、心がいつも寂しく、どこにいたらいいか分からないような、落ち着かない気持ちになっても当然だと思います。見えないけど人間にとって一番大事な部分ではないでしょうか。思いやりや優しさにつながる人間としてのベーシックな感覚だと私は思っています。特に子供はこの部分を敏感に感じ取っています。大人が柔軟な心を持っていなければ、子供のこの部分を見逃してしまうでしょう。
エクササイズを通して、この微妙さを感じてみませんか。きっと瑞々しい子供時代の感覚が蘇って来ることでしょう。この微妙さが、硬直した思考を解きほぐして、今は忘れてしまった大事な本質を思い出させてくれることでしょう。