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「思い込み」を手放す(その1)
私たちは美しいものやポジティブなものから、多くのものを学びます。が、ネガティブなものに対しては、どうしても避けたい、見たくないという思いが先立ち遠ざけてしまいがちです。
これはRさんとの電話セッションの記録です。
Rさんは、幼い頃から、祖母や父親に対して、違和感を感じておりました。いつしか、祖母や父のようにはなりたくないと強烈に思うようになり、そうならないよう理性で自分をコントロールして生きてきました。しかし、最近体調を崩し、薬だけでは、どうにもならないので、マインドフルネス・セラピーを体験したいと、訪ねて来られました。
マインドフルネスになったら、みぞおちのあたりに微かな痛みが感じられるというので、そこに意識を集中して、感じてもらいました。
しばらくしてから、父や祖母のことが思い出され、幼稚園の頃から、祖母はニセモノだ、とはっきり思っていた。父に対しては、理不尽なことを平気で家族の者に押し付け、みんなを不安に陥れ、家族がどんなに訴えても、一向に聞く耳を持たない。私は、「祖母や父のようになってはいけない」と、ずーと思っていた。ここからセッションが展開しはじめました。
「祖母や父のようになりたくない」と言う気持ちを感じていくうちに、その下にある気持ちが、浮上してきました。『口だけいいこと言っているが、やっていることがめちゃめちゃだ!』『信用したら、大変なことになる!人は信用できない!』『父のやっている事はおかしい!私は腹を立てている!』と。
(Rさんの感覚を共に感じていきました)
突然Rさんはポツンと『私、もしかして・・・囚われているかもしれない・・・』と言うのです。そこでRさんが祖母や父に対して思っていることを、具体的な言葉にしてもらい、その言葉を忠実に私がRさんにかけて見ることにしました。
R『うわーイヤだ!』『自分が批判されている気がする・・・』『ダメだって言わ
れたくない!』『身体が閉じて、ぎゅーっとなる・・・苦しい!!』
(突如、苦痛の叫び声をあげ、しばらくは息が上がった感じでたが、
やがて落ち着いてきて、静かに語り始めました)
R『祖母や父のようになりたくないので、そういう言動を排除しようと努力して
きたけれど、それが、自分をこんなに苦しめていたとは・・・驚きました!』
『自分で自分を内側から苦しめていたんですね!・・・』『これは祖母と父の
ことを私が批判している行為だ・・・』
(そこで、「祖母や父のようにならない」ではなくて、その反対の言葉をかけみようということになり、二人で相談し、思いつく言葉をかけてみました。)
京子『Rさんのまんまでいいよ』『ありのままのRさんで居ていいよ』
R『楽になった・・・』『身体が開いた・・・』『ホッとした』『自分の感覚を
信頼すればいいんだ・・・新しい感覚だ・・・』
Rさんは思ってもいない展開だったので、咄嗟には何が起きたのかわからないと正直な気持ちを吐露してくださいました。良かれと思ってやっていたことが、自分を苦しめていたとは・・・・思いもよらなかった・・・。そこで、今の戸惑っている感覚を大事にしますよ、と声かけをして、この日の電話セッションは終わりになりました。
コメント
思い込みに気づくことは、存在と行為の違いが実感できる
頭で考えれば、よくないことは排除すればいいとなりますが、私たちの心の深いところ(お腹の感覚)には、そう言う二者択一ではないものがあるのです。
では、お腹の感覚の世界には何があるのでしょうか。悪いがあるから良いがわかる。暗いがあるから明るいがわかる。醜いがあるから美しいがわかる。等々真逆の存在が必要不可欠であること。真逆のものが互いに支え合っていて、切っても切れない関係であること。これが全ての物事の根本原理だよ。善悪の判断だけではない、見えないものの中に大事なものがあるんだよ、という世界観を教えてくれているのです。
意識レベルでの、こういう話は平面的で、自分とは切り離された言葉になってしまいますが、Rさんのようにマインドフルネスになって、無意識の中に隠されていた自分の感覚が蘇ってくる体験をすると、これらの言葉は本当にそうだなと、徐々に腑に落ちて、自分のものになっていくのです。
Rさんはセラピーを通して、自分の中の「いのち」に出会い、「ちゃんと自分のありのままの姿に気づいて、正直な気持ちを偽らないで生きていきたい」という「いのち」の方向性を実感できたのです。このことは、本来の自分になっていく大きな第一歩となることでしょう。
Rさんは、祖父母や父親の言動に対して、こういう行為はしたくないと思っていたということであり、祖母や父親の存在を否定しているのではないのです。
「思い込み」に気づくことは、人間の存在と行為は別だということが体験できることであ理、この実感はとっても大事なことです。
私自身も、このセッションを通して、「いのち」は誰のことも批判したり排除したりしていない。ただひたすら、自分の「いのちの願い」を大切にして生きていきたいだけなのだ。というRさんのメッセージに心を打たれました。そして、自分がそう言う存在であるということは、他の人もそういう存在だと、ごく自然に感じられてくるところに、「いのち」の品格を感じました。
自分の中の「いのち」との遭遇は、人間の本質を思い起こさせてくれます。人間どうし、お互いの存在がこんなにも、思いやり深く慈愛に満ちていると言うことは、なんとも嬉しいことではありませんか。
ところが、大人になると、この本質と言動が、バラバラになってしまうようです。子供は本質の感覚そのものであり、本質が良くわかっていますから、大人の本質と言動のちぐはぐさを、物の見事に見破っているのです。このちぐはぐさからいろいろな「思い込み」が生まれてきます。これを手放すことは容易ではありませんが、無意識と繋がって行くワークを繰り返し体験して行くことで、自分を縛っている「思い込み」に根源から気づいて、手放して行くことができるのです。
福田京子