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大切な人を失って
私は23歳で最愛の母を失い、その悲しみを十分に癒す事もできないまま、40年以上も、一人で抱えて生きていました。マインドフルネス・セラピーの手塚郁恵さんに出会って、初めてその悲しみを解き放すことができました。
今振り返ると、大切な母の死は、あまりに衝撃が大きすぎて、一人では感じ切ることができなかったのです。
セラピーを受けて初めて、悲しい気持ちを心いくまで聞いてもらって、心の底から泣き切ることができました。
命あるものにとって、死は免れることはできません。死の残酷さは、二度とその姿を見ることも声を聞くこともできなくなることです。目の前から姿が消えてしまうことが耐えられなく辛いのです。
大切な人の死は、それまでに共に築いてきたものが、途絶えてしまうわけですから、その衝撃は計り知れません。その時に感じた緊張は想像以上に大きく、一人では受け止めきれなくて当然のことです。大変な時、辛い時、悲しい時こそ、人は互いに気持ちを分かり合い、助け合って生きていくのです。一人で我慢しないでいいのです。
お互いに支え合って生きることで、見えないけれど何か大事なものが在るということを感じ取ることができます。辛いからこそ、見せかけではない本当の人の温かさや優しさが身に染みてわかるのです。生きるとはどういうことか、本当の愛がどういうものかということを、身を以てしみじみと感じることができるのです。
生まれることがめでたくて死ぬことが不幸なことではないのです。
世の中のことは全て繋っているという感覚、悲しみの奥には悲しいだけではないものが在る、という確かな感覚が芽生えてくるのです。人を慈しむ気持ちというのは、見えないものの中に在るのです。言葉や眼に見えるものを超えたところに、ずっしりとした本物の優しさが在るのです。私たちは決して孤独ではないのです。
悲しみは悲しいだけで終わりではありません。悲しみ切ったその先に、澄み切った深い静寂の中でこそ、しみじみと感じられてくる温かなものがあるのです。
福田京子