マインドフルネス・セラピー in 鎌倉

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2022.04.29
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粋と野暮の話

 

私たちは、日々何度も、ふと嫌な気持ちになったり、悔しくなったり、悲しい気持ちや、情けない気持ちになったりします。もちろん、パッと明るくなるときも、ワクワクする時もありますが、、、

 

あなたはそういう刻々と変わる諸々の気持ちに、気づいていますか?

実は、無意識で行っていることなのですが、自分の気持ちに気づいているか、流しているかの違いは、自分の人生を豊かにするか、つまらなくするかの大きな分岐点になっているのです。

 

嬉しい時には、自然に発散されているので、取り立てていうこともありませんが、ネガティヴな気持の時には、『そうなんだネ・・・』と、そっとネガティブな気持ちに気づいてほしいしものなのです。誰しも、そういう微妙な気持ちを大事にしてもらいたいのです。

 

しかし、アドバイスや励ましをする人はあっても、しみじみと『そうなんだネ・・・』と、静かに肯定的に聞いてくれる人には、めったには出会えません。

 

私は子供の頃から、しみじみがとっても好きでした。しみじみとしていない人は、側に居ても何だかつまんないと感じていました。今思うと、このしみじみというのは、共感のことだったのです。

 

しみじみと話ができる人との関係は、ネガティブな気持ちを邪魔モノ扱いしないのですから、共に居て心地よいのです。どんなに嫌な気持ちも、ドンとお腹で受け取ってくれていますから、一緒に居て安心感があるのです。

 

さらに「イキな人」というのは、素晴らしく共感力の高い人です。胆力ですっと、逆転の発想ができるのですから、「かっこいい」の一言につきます。

 

かつて小唄のお稽古をしていた時、しみじみと燻し銀のようイキな方と出会いました。師匠とその方と私との3人で、よくいろんな所の小唄会に行ったものです。その方は諸々の辛いことや悲しい体験が、心の濾過装置になっているのでしょう。お人柄から雑味のないさっぱりとした雰囲気が漂っていました。心にシミがないのです。その上、小唄が艶やかで、しかも上品でしたから、その方がそこに居られるだけで、ただそれだけで、しみじみ感が漂ってきて最高でした。久しぶりに思い出しましたが、こうして思い出しただけで、全て肯定されている感じがして、心がひたひたと満たされてきます。

 

それとは反対に、正論を口にする人や何となく威張っている人は、野暮の見本みたいです。共感力に乏しくて、合理性のみ・・・。これではしみじみしたものは、何にも伝わってきません。話は一方的で理路整然のみ。いつの間にか上下関係を作り出しますから、もうやりきれません。

 

しかし、野暮な人がいてくれるから、イキな生き方が際立ってくるのです。そして、あんな風にイキな生き方をしたいという一つのモデルになってくれます。

 

その上、どっちが正しいわけでも間違って居るわけでもなく、お互いがお互いを引き立てあって、違いをはっきりさせてくれている大事な存在同士であるということです。

 

つまり、心は立体的な構造をしているのです。(「いきの構造」九鬼周造著)

 

私は、心のことを学ぶ前は、共感のできる人が素敵な人で、共感力のない人を嫌な人としてひどく嫌っていました。が、今はこういう平面的な次元で、とやかく嫌わなくなくなりました。根気よく、お互いが腑に落ちるまで、とことん話し合うことが心地よくなりました、

 

どういう価値観を持っている人のことも、『この人は、こう思って居るんだな』と、自分との違いに気づき、その人に対して、むしろ愛着を持って受け止めることができる様になりました。そう感じられることで、生きる事がとっても豊かになりました。

 

日本ではまだ、セラピーやカウンセリングは特別な人が受けるものと思っていますが、本来は自分の人生を豊かにするためにあるのです。イキな生き方の実現のためにあるのだと思っています。

 

セラピスト 福田京子

 

 

 

 

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