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2022.04.02
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本当の安心

 

安心といっても、目に見える安心と、目に見えない安心とがあります。

 

目に見える不安や怖さは、何が危ないのか見えているので、素早く対処することができます。しかし、目に見えない不安や恐怖は、とにかく予測がつかないし、ワケがわからないので、ものすごく怖く感じます。

 

見えない不安は感覚を通してしか、何に対して不安を感じているのか、分かりません。つまり、共感力、想像力を総動員して共体感しない限り、怖さを共有することができないのでとても難しく、分かりにくいのです。

 

私たちのアタマは、見えない不安に対して、素早く安心感を引き寄せようとして、とりあえず、いろんな手を考え出します。

 

例えば、今起きていることをなかったことにする。感じないようにする。素早く相手の言動をさえぎる。相手を威嚇する。逆襲する。仕返しをする、、、または、極端に衰弱して相手に心配させて怯ませる。病気になる。病気になって治ろうとしない、、、など、ひとまず緊急応急処置を考えて、必死に安心を得ようとするのです。

 

しかし、これらの応急処置の安心は、根本的な安心ではありません。

 

ですから、時間の経過や成長とともに、今度は、不安の発生源となって自分を苦しめていくのです。そればかりではありません。自分だけの苦しみではではすまなくて、周囲の人を巻き込んで苦しみを連鎖させてしまう事です。本当に悲しいのは、自分の一番大切な人に連鎖の矛先が向いてしまう現実です。

 

例えば、暴力的な言動で相手に関わって、心に傷を追わせていく。無視する。見下す、、、、などなど、悲惨な言動がエスカレートして悲劇を生むケースは世の中に限りなくあります。これらは、他人事ではないのです。見ようとしないから見えていないだけで、日常の自分の生活の中に実はたくさん溢れているのです。

 

しかし、そういうネガティブがあることは悪いことでも、恥づかしいことでもないのです。自分の気持ちの奥を見ようとし、感じていくには、とっても大切な手がかりになっているのです。ここが、本当の安心への入り口だからです。

 

それでは本当の安心を体得するにはどうしたらいいのでしょう。

 

本当の安心感は、肌に触れられる感触を通して感じられてきます。

 

生まれたての赤ちゃんを想像してください。

 

お母さんの胎内から離れ全身で不安を感じています。そして必死に全身の感覚で安心を求めようとしています。そこにお母さんの柔らかく温かい手、お乳の匂いと感触、優しい視線。しっかりと体を抱いてもらっている感覚、何さておいても、自分を第一に守ってもらえている。自分が歓迎されている雰囲気などなど、、、こういうものを感覚として感じられれば、安心してスヤスヤと眠ることができます。

 

ところがそこへ突然の大きな声や音、強い光、乱暴な扱い、母親の不安定な気持ちなどが怒涛のように入ってきたらどうでしょう?特に男性の怒りを内包した大声などは、ものすごい恐怖となるでしょう。

 

戦時下のような環境であっても、もし誰かが、必死で自分を守ってくれていると感じられたら、事態は全く違ってくる筈です。自分を大事な存在として扱ってもらえていると感じられれば、それだけで心は安心に満たされてくるのです。

 

この安心感の中から、幼いながらも、みんなの一員として協力しようという気持ちが芽生えてくるのです。一方的な自分の要求だけでなく、自分にできる精一杯のものを表現して、みんなと繋がっていこうとする気持ちが、生まれ育ってくるのです。

 

幼少期の体験が、その後の人生にどんな影響を与えるか、いかに重大であるか、言うまでもありません。この原初の安心感が、自分の存在を成長させていく原動力になっていくのです。

 

いろんな事情から、幼少期に、いろんな環境で原初の安心感を十分得られなかったとしても、絶望しないでください。幾つになってからでも、原初の安心感を取り戻すことは可能です。

 

背中に手を当てる、優しく撫でる、ハグするなどお互いに温もりを感じあっていく中で、その静かな行為の中で、見えない安心感が醸成されてくるのです。

 

無意識とつながって、じっくりとワークをし、静かに感じていくなら、瑞々しい感性が蘇ってきます。

 

それはあたかも、瞬間冷凍で眠っていた魚が、氷が溶けて元気に泳ぎだすような鮮やかな印象で、本来の自分自身が取り戻されてくるのです。

 

まずは、応急処置の安心感と、本当の安心感の違いを感じて行きましょう。

 

セラピスト 福田京子

 

 

 

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