マインドフルネス・セラピー in 鎌倉

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2021.03.13
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落語が好き!三代目古今亭志ん朝が大好き!

 

 

私は、若い頃から落語が好きで、三代目古今亭志ん朝が大好きです。

 

志ん朝は2001年に亡くなっているのですが、私の中には、あの顔、あの声、あの粋な眼差しが活き活きと生きているのです。

 

思っただけで体の奥の方から、熱いものが湧いてくるのです。

 

私は40歳の時、志ん朝のなんとも言えない色気に魅了され、ついに芸者さん上がりの小唄の師匠に弟子入りして、小唄やら都々逸、端唄の稽古をしたことがありました。当時はまだ粋な遊びを楽しんできた先輩方がおられ、よくお師匠さんと一緒に出かけては、その粋なねじめに惚れ惚れしたものでした。

 

あれから39年以上も過ぎた今、志ん朝の落語をしみじみ聴いてみると、また新しい発見がたくさんありました。改めて私の落語好きに拍車がかかりました。

 

落語はただ面白いだけで、十分素晴らしいのですが、それだけで終わらないものがあるのです。心の奥の鐘がゴーンと鳴り響くのです。ここがたまらなくいいのですから、他人様には説明がつかないまま、悦にいってしまうわけです。

 

私がマインドフルネス・セラピーに惹かれ『これだ!』ってのめり込んだのも、この心の鐘がゴーンとなったからです。今回、志ん朝の落語を毎日聴き続け、はっきりと分かったのは『落語とセラピーは、心の奥で同じ鐘が鳴り響く』ということです。その鐘の余韻は、胸のつかえを瞬時に押し流し、スーッと気が通って、気持ちが晴れてくるというところが共通しています。

 

落語に出てくる人物の可愛いことといったらありません。粗忽者だろうが、頼りない若旦那だろうが、気丈なおかみさんだろうが、泥棒や幽霊だって、みんなみんな魅力的です。人間というのは、こうも愛くるしいものなのかと、胸がキュンとなってしまいます。どんなに上品ぶったって、悪人ぶったって、人間の本質においては、誰もがちっとも変わらないのです。表はいろいろあるけれど、奥にはみんな熱い血潮が流れているのです。

 

嬉しい時は嬉しくてはしゃぎたくなるし、悲しい時には泣かずには居られない。疲れればネガティブにもなるし、文句も出る。悔しければ、腹も立ちます。ヤキモチが焼けて八つ当たりもしたくなります。

 

やり過ぎてしまえば、不都合が生じるとがわかっていても、簡単には止められません。とことんやり過ぎて懲りて初めて納得する、しょうもないところがいっぱいある生き物なんだなぁ・・・と、改めて思えて、ますます人間が好きになりました。

 

落語ではよく、『おめえは、全くしょうがねえなぁ〜』なんていう言葉が出てきますが、これは否定ではないのです。真逆で全面肯定なのです。口から出まかせの様にポンポン言っているけれど、お腹の中では気が通い合って、阿吽の呼吸で熱く関わり合っているのです。これを額面通りに聞くのは野暮というもので、嫌い嫌いは好きのうちなのですから。“粋”というのは、この機微を受け取れるかどうかです。セラピーも同じです。つまり、機微はお腹で感じあい受け取る微妙な感覚なのです。

 

私は若い頃、明治生まれの人との接点が多く、この“粋”な感覚をさりげなく持っている方とやり取りをすることができました。心で話が通じる世界を楽しむことができたのです。理屈や言葉じゃなくて雰囲気として『あぁ、そうなんだね』と、丸ごと認められている感じが伝わってきて、心が元気になったものです。

 

ところが今は、なんでも頭でわかろうとしてしまうから味気がない。

 

やっぱり人間は、この微妙なころがあるから面白いのです。

 

心がつっかえた時には、試しに落語を聴いてみてください。

 

セラピスト 福田京子

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