マインドフルネス・セラピー in 鎌倉

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2020.01.02
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新年明けましておめでとうございます

 

明けましておめでとうございます。

 

お正月になると、一夜明けただけなのに、新しくなったような気がしたり、今年の目標をたてようと焦ったり「思い」が去来します。

 

私は日本の伝統芸能の中に、マインドフルネスの精神性を見出しております。

とりわけ能楽が好きで、鑑賞するだけでなく、仕舞や謡曲のお稽古を始めました。能楽においての所作は「歩行禅」とも言われ、腰を落としてすり足で歩くことで、丹田に意識が集まるので、気持ちが落ち着いてきます。仕舞を習う時も初めは順序を覚えよう、早く上手になりたいという思いに囚われ、夢中になり過ぎて手足も身体もバラバラになってしまいます。このバタバタした姿は、現代に生きる日々の自分の姿だなあぁと実感致します。

 

間違わないように、という思いの下には、正しくできないとダメ、恥ずかしいという得手勝手な自意識が蠢いています。この自意識に支配されている姿は、手足をバラバラに振り回し、頭だけで何とか収めようともがいている身勝手な姿だと、ようやく気づくようになりました。これは正に自然の秩序をも打ち壊し、欲望だけを前面に出してはばからない自覚のない餓鬼道のようなものです。

 

私たちの「いのち」は、自分だけ良ければいいと思っているでしょうか?それとも、自分を後回しにすることが良いと思っているのでしょうか?いいえ、「いのち」はそういう次元ではなくて、第三の智慧の道へと私たちを誘ってくれていると思うのです。

 

「歩行禅」を通して、少しわかったことがあります。それは余分な気持ちに振り回されないで、左に行ったら、右に行く。前に進んだら、後ろへ下がる。息を吸ったら吐き、吐いたら吸うという根源的な営みに意識を集中して、ひたすら繰り返して行くことなのだ、と。この繰り返しの中から、本来の自己を見出して行くことなのだ、と気づいたのです。

 

余分な思いは、キリなく出てきます。この囚われから離れて行く一つ方法としての繰り返しの所作があるのだと会得しました。自分の都合の良い気持ち、自分だけの思いを満たそうとしているだけでは、周囲の状況が全く感じられて来ません。こういう何も見えていない状況の中で生きることを、人間は望んでいない、と気づいたのです。

 

本来の自分とは、自分の手足の動きにも意識が注がれており、さらに周囲の状況もはっきりと見えている調和のある姿なのだと思います。

 

現代はなんでも、便利で早い事、効率が良いことが一番良いことになっていますから、同じことを繰り返して行くことや、時間がかかることが敬遠されてしまいがちです。しかし、人生の息苦しさは、実態のない思い込みから出てくるのですから、実態のない思い込みと真正面に向かい合うことでしか道は見出せないでしょう。丹念に自分自身と向き合って行くことによって、自分を苦しめている思いは、自分が勝手に作り出しているに過ぎないと納得してこそ、自ら手放して行くことができるのだと確信しています。

 

古典芸能にだけに「道」があるのではありません。セラピーやカウンセリングも自分自身に向き合って行くことの繰り返しで「道」にまで深めて行くことができます。私は、マインドフルネス・セラピーを「道」として、これからも皆様と共に、第三の智慧の道へと深めていきたいと思っております。共に歩んで参りましょう。                     2020年1月2日

 

福田京子

 

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